派遣労働者を大量に切らざるをえないというのは、その産業が低い賃金コストでないと成立しない状態だったということである。成長しているつもりが実は単に肥大化しただけであり、人を大切にするという日本的な良さを忘れてしまったことにほかならない。派遣労働者を寮から追い出さなければ、いますぐに会社がつぶれてしまうほどなのか、内部留保も本当にないのか。これを機会に人減らしをしてしまおうという計算は働いては自らに問う必要があるだろう。
ドラッカーは企業は何のためにあるのか、と常に問いかけてきたが、不況期こそ、真の企業のありようが問われる。彼は「企業たるもの、社会の安定と存続に寄与しなければならない」と論じている。
言い換えれば、企業とは人々に生計の手段や社会とのきずな、そして自己実現の場を与える存在である。米国のビジネス誌に寄せた最後のメッセージでも「経営者たる者、社会の公器としての会社を考えよ」と呼びかけた。企業と企業人が尊敬される世の中であってほしい、というのが彼の希望だった。
「組織はすべて、人と社会をよりよいものにするために存在する」と『経営者に贈る5つの質問』の中で述べているが、この言葉こそがドラッカーの経営思想の神髄といっていい。
だからこそ企業は、正規従業員ばかりでなく、パートも派遣労働者も、一人一人の面倒を見ていかなければならない。すでに、非正規社員を正規社員として採用した会社も出てきている。当分はこうやってこの危機をしのいでいくことだ。良いときはさらに良くなると思い、悪いときはさらに悪くなると思いがちだが、いずれも必ず終わる日が来るというのは自明のことなのだから。
不況を克服する日は、新しい時代が来る日でも、新しい旅が始まる日でもない。単に馬を乗り換える日にすぎず、その意味で歴史はつながっている。
いま社会的に手をつけたことは、景気が回復した後も継続する。
重要なのは、人であり社会なのだから、社会を分断、破壊してはならないのだ。
日本は、製造業雇用が全就業者人口の4分の1という先進国では最高の水準にある。これまで労働力市場や労働の流動性も無いに等しかった。そういう中で、短期の効率化を目指して派遣労働を取り入れた結果が今日の「派遣切り」では、日本贔屓のドラッカーも嘆くに違いない。
古き良き日本型組織と経営が、急速に崩れつつある。今こそ日本社会の良さを再確認する好機というべきである。
ドラッカーならば、ピンチをチャンスにと言うだろう。