地味ハロウィンとは

「地味ハロウィン」は、魔女やゾンビの衣装を着て騒ぎ立てたりはせず、それゆえに、インスタ映えを狙ったりもしないけれども、ハロウィンは楽しそうなので、等身大の地味な仮装に工夫を凝らして、その仮装を鑑賞し合うことによって知的に楽しもう、というイベントです。

ハロウィンの仮装は、元々、収穫祭のこの時期に先祖の霊と共に降臨する悪霊を退散させるためにカボチャの実をくりぬいて作ったジャックオランタンに火をともす一方、それでも近づいてくる悪霊をやり過ごすために悪霊の仲間を装う目的で行われるのだそうです。

それなのに、地味ハロウィンは、「魔女やゾンビは禁止、カボチャも禁止」です。このルールは、元来の趣旨から逸脱してしまうということを意味します。

このルールのせいで、イベント会場を訪れても、ハロウィン本来の雰囲気を味わうことはできません。インスタ映えとは無縁な、説明がないと何の仮装をしてきたのかさえ分かりにくい、きわめて地味な仮装者同士が、お互いにニヤリとした笑いで盛り上がるだけなのです。

それにもかかわらず、このイベントは、5年ほど前の初開催以降、年々、ツイッターのリツイート数を増やし、イベント参加者数も伸びているし、東京会場を阿佐ヶ谷から“派手ハロウィン”の最大拠点といえる渋谷に移すと共に、いくつかの地方会場においても同時開催するという盛況ぶりをみせています。

地味ハロウィン vs. 派手ハロウィン?

「地味ハロウィン」の盛り上がりは、一見すると、渋谷の街に沸き起こった従来の「派手ハロウィン」に対するアンチテーゼ見えます。つまり、「派手に対する地味」ということです。「陽キャに対する陰キャ」と言い換えても良いでしょう。陽キャ(陽気な人)のド派手なノリについていけない陰キャ(陰気な人)である一般人が、いたしかたなく、同類同士、街の片隅に集まって静かにハロウィンを楽しもうとしているように見えるということです。しかし、このような見方は誤りです。

地味ハロウィンの先導者たちは、おそらく、派手ハロウィンの先導者たちに対しては一目置いています。派手ハロウィンの先導者たちというのは、言い換えると、インスタ映えを狙って背伸びをしなくても、自然とインスタ映えしたキラキラしたコンテンツを発信できるようなアビリティの高い一握りの人たちです。彼らは、生来的にキラキラしているので、彼らの手によるハロウィンは、自ずとキラキラしたものになるのです。

けれども、そんな彼らが作る派手なハロウィンに乗っかろうとして渋谷に集う大多数の人たちは、本当の自分より少しだけ良い自分をプロデュースするための好機として、インスタ映えする瞬間を切り取りにきているにすぎません。地味ハロウィンが疑問を呈するのは、そうした人たちです。そういう人たちは、生来的には、あちら側の人ではなくこちら側の人ではないのかと。

そういう意味で、地味ハロウィンとは、「派手」に反対する「地味」という単純なものではありません。平たく言えば、パリピはよいとして、パリピでない人が背伸びをしてパリピ化したハロウィンに参加することに疑問を呈し、自分本来のキャラを発揮できる自分だけの立ち位置を模索してはどうかと提案する企画だということです。あるいは、掃除ボランティアをフィーチャーした第1回の表現を使って換言すると、「インスタ映え」を狙うインスタグラマーに反対する「ホンネベース」のツイッター民、と表現することも可能です。