大規模デモは「ボタンの掛け違い」から始まった

中国政府は軍によるデモ鎮圧を露骨にちらつかせながら、建国70周年の式典が執り行われる国慶節(19年10月1日)までに沈静化させるように香港政府に求めていた。抗議運動に対して強硬な姿勢で臨んできた香港政府だったが、早急に事態を沈静化するためには(習近平が嫌がる)「条例改正案の正式撤回」という形で歩み寄るしかなかったのだろう。

しかしデモを主導してきた民主派団体は以下の5つの要求を掲げている。①改正案の完全撤廃、②警察と政府の、市民活動を「暴動」とする見解の撤回、③デモ参加者の逮捕・起訴の中止、④警察の暴力的制圧の責任追及と外部調査の実施、⑤林鄭行政長官の辞任と民主的選挙の実現。

現時点で香港政府が譲歩したのは①だけ。民主派団体は「要求は1つも欠かせない」と主張しており、条例改正案の撤回で抗議デモが収束に向かうかどうかは微妙だ。

協定がなくても、中国政府は秘密警察などで拘束してきた

今回の香港の大規模デモはボタンの掛け違いから始まっている。きっかけになった逃亡犯条例の改正は、香港人男性が台湾で恋人の女性を殺害して、台湾当局に逮捕される前に香港に戻ったという事件がそもそもの発端だ。台湾当局は容疑者の身柄の引き渡しを求めたが、香港と台湾は犯罪人の引き渡し協定を締結していない。

そこで香港政府は逃亡犯条例を改正して容疑者を台湾に引き渡せるようにしようとした。つまり当初は香港と台湾の問題だったのだ。これを中国政府が嗅ぎつけて、「待った」をかけた。

「台湾は中国の一部なのだから、台湾と引き渡し協定を結ぶのはおかしい。『中国』との引き渡し協定に改正案を書き直せ」というわけである。

香港は中国の特別行政区だが、それまで中国本土との間で犯罪人の引き渡し協定は結ばれていなかった。そんな協定がなくても、中国政府は秘密警察などを使って香港の民主活動家や政府に批判的な人物を自由にしょっ引いては中国本土で拘束してきたのだ。