西葛西での暮らしにほとんど不都合はなくなった
現在、チャンドラニさんは「江戸川インド人会」の会長も務める。
「江戸川区にできたからそういう名前なだけで、誰でも入れるんですよ。フェイスブックなどネット中心で運営されています」
会のページには、日本に暮らすインド人からさまざまな質問が寄せられる。どこか評判のいい日本語学校はないか。子供が熱を出したのだが英語の通じる病院はどこか。インドから家族が来るのだが、どこかおすすめの観光スポットを教えてほしい。帰国するので誰か冷蔵庫を引き取らないか……それは生活そのものだ。話に心あたりのある人がどんどん書き込んでいく。すでにインドに帰った人からも情報が寄せられる。ときにはフェイスブック上で値段交渉が行われたりもするのがインドらしい。
食材などもやはりネット販売ができるので、リアル店舗の数が街には比較的、少ないようだ。
「まだ生野菜など日本ではなかなか手に入らないものがある」と言うが、それでも西葛西での暮らしにほとんど不都合はなくなったそうだ。
西葛西リトル・インディアは4000人規模になった
4000人にまで膨れ上がった西葛西リトル・インディア。インド全土からIT技術者を中心に集まってくるが、IT産業の集積地として知られる街バンガロールを擁するカルナータカ州やアンドラ・プラデーシュ州、タミル州など南部出身者が目立つそうだ。シーク教徒とも交流はあるが、人数は多くないという。シーク教徒は商人が多くIT系は少ないのだそうだ。
この4000人は、いまも少しずつ増加している。リトル・インディアは拡大を続けている。
「インドでも整備が進められている高速鉄道には、日本の新幹線方式が取り入れられることになりました。そのシステムを学ぶために、さらにたくさんの技術者が日本にやってきているんです。自動車関連産業から日本に派遣されてくる技術者もいます。西葛西のインド人はどんどん増えています」
しかしその技術者たちの入れ替わりは激しい。早ければ半年から1年、長くても2、3年でインドへと帰っていく。長い年月を日本で過ごす人は少ない。チャンドラニさんは、それを少しだけ寂しく感じているように思った。