このままでは日本を代表する作詞家の唯一の汚点になる
週刊ポストの1971年8月23日号に掲載された「芸能界相愛図事件」がそれである。ポストの記者が2人、なかにしのところへ取材に行き、なかにし自らが話したという仕立ての記事になっている。
だが、なかにしは、取材に応じなければ私生活を暴くといわれたと告訴し、記者2人が神保町の路上で逮捕されたのである。
その後、2人は不起訴になる。私はこの事件について取材し、2010年9月30日号のアサヒ芸能に署名原稿を書いた。
私はなかにし礼にも話を聞いた。もちろん本人は全面否定で、そのことを取り上げることもよしとはしなかったと記憶している。
当該の記者には話を聞けなかったが、当時の担当編集者には話を聞くことができた。誌面で私がどう書いたのかをここでは詳(つまび)らかにしないが、功成り名を遂げた彼にとって、思い出したくもない人生唯一のシミのようなものなのだろう。
今やなかにし礼と並んで、日本を代表する作詞家である秋元康にとって、AKB商法が彼の光り輝く人生の唯一の汚点にならないか、心配である。
私の好きな与謝野鉄幹の「人を恋うる歌」の一節を秋元康に贈りたい。
友を諌めに泣かせても 猶(なお)ゆくべきや絞首台
(文中敬称略)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)などがある。