秋元康の「解散宣言」こそが、生み出した人間の責任

詳しくは知らないが、秋元がプロデュースした「おニャン子クラブ」も、人気に陰りが出て解散したのであろう。

AKB48も、人気を支えていたメンバーも次々に卒業していって、CDも視聴率も下降線をたどっている。このままいけばAKB48やその類似グループも雲散霧消すること間違いない。

これ以上不祥事を起こさないうちに、秋元が「解散宣言」してやるのが、生み出した人間がやるべきことではないのか。

なかにし礼という作詞家がいる。作家としても『長崎ぶらぶら節』で直木賞を受賞している。私の好きな作詞家だ。

作家なかにし礼が一つだけ触れてほしくない過去

サンデー毎日(5/5・12号)に巻頭詩「新しい時代の人々へ 平和を愛する友たちと歌う鎮護歌と賛歌」を寄せている。

「昭和二十年八月十一日午前十時 六歳 その時、私の人生という現実が始まった
現実とはまず逃げること 家を棄て街を棄て命以外の全てを棄てて 避難列車を奪い合う群衆を尻目に 軍人退却用の列車に潜り込んだ」

満州に生まれ育ったなかにしが、ソ連の爆撃を逃れ、様々な辛苦を味わい日本へ流れついたところから始まる。終戦後の焼け跡に「リンゴの唄」が流れ、すべてを失ったが、民たちは解放された喜びをかみしめていた。新しく公布された憲法には「基本的人権・国民主権・戦争放棄というかつて見たこともない文字が輝いていた」と歌う。戦争なき時代を奇跡などとせず、当然のこととして継続させようと呼びかけ、

「新しい時代の人たちよ 約束しよう 令和の天皇が象徴としてのあるべき姿に 心の揺らぎを見せるようなことがあったら ご即位を言祝(ことほ)ぎつつも躊躇(ためら)うことなく 異議を唱える勇気を胸に秘めておくことを」

と高らかに歌い上げる。引揚者という経験をした彼でなくては書けない、格調高く、しみじみと胸にしみ込む詩である。

日本を代表する作詞家・作家であるなかにし礼だが、彼には一つだけ触れてほしくない過去がある。