父が大切にしていた、時と生命の鼓動
母の遺品の腕時計は、当時、俗称で“南京虫”と呼ばれていた超小型で華奢な米国Waltham社(当時)製の品であった。小さなメレダイヤが控えめにちりばめられた直径一・五センチほどのプラチナ製で、落下防止に細い鎖がリング状に付いている。終生和服姿で通した母であったが、おめかしをしてから、最後にあの時計をして外出する姿を、私はいつも心密かに自慢に思っていた。
その母も自宅の床で、父の後を追うようにして静かに眠るように旅立ってしまった。母の臨終の時には、その細い腕にはあの時計がしっかりとはめられていた。
超小型のこの南京虫時計は、アクセサリーならいざ知らず、ド近眼の私には全く実用性がない。今は、慎ましやかに微笑む着物姿の母の遺影の傍で、二度と時を刻むこともなく眠っている。
“チクタクチクタク”という時計の音は、心臓の鼓動に似ている。
「時を大切にしなさい」
「生命を大切にしなさい」
「時は二度と戻ってはこないからね」
元外務大臣
1944年生まれ。早稲田大学商学部卒。93年衆院選で初当選。94年村山内閣で科学技術庁長官として初入閣。2001年小泉内閣で女性初の外務大臣。著書は『父と私』(B&Tブックス)。