田中角榮元首相は、物を所有することに一切こだわらなかった。だが娘の田中眞紀子氏によれば、唯一、腕時計だけは大切にしていたという。なぜなのか。5月4日の誕生日にちなんで、「角さん」と親しまれた角榮氏のエピソードを紹介しよう――。

※本稿は、田中眞紀子『角さんとじゃじゃ馬』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

アメリカ留学する娘に“お守り”の腕時計

「人の一生は誰にとっても一度しかない。その人生をいかに充実して生きるかは、ひとえに時間の使い方にかかっている」

これが父の口癖であった。

時を大切にするとは、とりもなおさず、時間を気にする習慣を身に付けることであり、そのためには時計自体が正確に時を刻むことが、肝心である。以下に記すのは、現代のようにデジタル時計が発達していなかった、一九六〇年代の出来事である。

※写真はイメージです。(写真=iStock.com/mustafagull)

私が十代でアメリカへ留学すると決まった時、父は銀座四丁目にある天賞堂という時計専門店へ連れて行って腕時計を買ってくれた。“時を大切にしなさい。時は二度と戻ってはこないからね”という言葉を添えて。

店内には掛け時計やきらびやかな品が数多く並んでいたが、父は迷うことなく婦人用腕時計の並ぶショーケースへつかつかと歩み寄って、すぐに品選びを始めた。私が長方形の文字盤を中心に品選びをしていると察した父は“女なんだから丸型にしなさい。女は丸型であるに限る”と妙チクリンなことを言った。

ただでさえ反抗心に燃えていた十代の私は、“四角がダメなら三角はどう?”と聞いたところ、「そんなものは当店にはございません!」と店員に無下に断られてしまった。父は、“ほらごらん”と言わんばかりに苦笑いをし、丸型で極めて見やすい文字盤の付いた腕時計を購入してくれた。これは一人で海外へ旅立つ娘に対する父からの“お守り”であったらしい。

宝物の時計を探してみるも……

先だって、ある新聞社の企画で“私の宝物”というタイトルの取材を受けた。私には宝物と呼べるようなものはなく、あえて言えば家族や友人、知人たちとの“思い出”が宝物ですと答えたところ、編集者は何か一生の思い出に残るような品物なら一つくらいあるでしょうと誘い水をかけてくださった。

そこで先述の腕時計を探してみたのだが、どこかへしまい込んで見当たらない。また、父が少壮国会議員として、初の欧州視察に出かけた際の母と私へのお土産も、上等な腕時計であった。秘書や事務員へも、それなりのものを持ち帰ってきた。

母はその時計を終生大切にしていたが、気まぐれな私はその時の腕時計も行方不明にしてしまった。そもそも、「父のニックネームは“角さん”なのになんで時計だけは“丸さん”なんだ」といつも心中不満タラタラであった。私の胸中を察した時計たちが自らどこかへ身を隠してしまったのかもしれない。

ところがよくよく考えてみた結果、父と母が臨終の時にはめていた腕時計のことをふと思い出した。