「富裕層がもらいすぎている」は本当か
格差問題について声高に訴える人は「富裕層がもらいすぎている」点を問題視します。しかし、本来「格差」というのは相対性の問題ですから、貧困層を底上げするという解決策もあるはずで、実際に慶應義塾大学名誉教授の竹中平蔵先生は「現在の問題は格差問題ではなく貧困問題」と指摘しています。
確かに、所得分配の不平等度合いを示すジニ係数を見てみると、わが国の数値はOECD内では加盟国の平均に近く、また、トレンドとしてもわずかに上昇の気配はあるものの、90年代とほぼ同程度で推移していますので、「格差の拡大」が問題とは考えにくい。つまり起こっているのは格差という相対性の問題なのではなく「貧困層の拡大」という絶対的な問題だということです。
しかし、格差を攻撃する人の発想は何故かそこに行き着かない。ひたすら問題になるのは「富裕層がもらいすぎている」という点なのです。これは要するに「高みにある人々を貶めることで平等性を確保せよ」と言っているわけで、ルサンチマンに囚われた人の典型的な思考パラダイムだと言えます。
「ルサンチマン」に囚われやすい国民性
ニーチェは著書『ツァラトゥストラ』の中で、他人と同じであることに最大の価値を認める人々を「畜群」と名付け、超人の対概念としました。超人思想は、ニーチェの本来の思想的文脈を離れてナチや北欧諸国の優生政策に利用されたりしたため、極めてデリケートな扱いを要する概念ですが、畜群すなわち「ひたすら皆と同じことを道徳的であるとして求める人々」ばかりになってしまった社会では、進歩・発展が望むべくもないということは想像に難くありません。
かつてジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた“日本株式会社”システムの制度疲労が明らかとなった90年代初頭から、すでに四半世紀を経ているにもかかわらず、この国の新しい絵姿はなかなか見えてきません。陳腐で私自身も辟易する比較論ですが、やはりなぜ米国にできて、わが国にできないのか? ということは考え続けなければならない問題でしょう。
そして、その大きな理由の1つに、ルサンチマンに囚われやすい国民性があると思っています。「皆と同じ」であることが道徳的とされ、集団から飛び出して甘いぶどうを取った人々をナンダカンダと難癖をつけてイジメることで、強引に「酸っぱいぶどう」に仕立ててしまう傾向が強い社会では、世界をリードするような新しいライフスタイルや技術イノベーションが生まれるはずもありません。
コンサルタント
1970年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒業、同大学院文学研究科美学美術史学専攻修士課程修了。電通、ボストン・コンサルティング・グループ等を経て、コーン・フェリーに参画。現在、同社のシニア・パートナー。専門はイノベーション、組織開発、人材/リーダーシップ育成。著書に『グーグルに勝つ広告モデル』(岡本一郎名義)『世界で最もイノベーティブな組織の作り方』『外資系コンサルの知的生産術』『劣化するオッサン社会の処方箋』(以上、光文社新書)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)など。『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社新書)でビジネス書大賞2018準大賞、HRアワード2018最優秀賞(書籍部門)を受賞。