ヒトの脳がもつ「貸し借りを把握する」能力

ここで、ようやく簿記の話に入ります。

現代の私達にとって、最も身近な簿記の様式は「複式簿記」です。複式簿記の基礎は、ルネサンス期の北イタリアで誕生しています。当時は、「人名勘定」と呼ばれる、人の名前を勘定科目として債権を記録していました。

ルートポート『会計が動かす世界の歴史 なぜ「文字」より先に「簿記」が生まれたのか』(KADOKAWA)

人名勘定の問題点は、100人、1000人……と取引相手が増えると混乱をきたすことです。「貸し」「借り」をきちんと記録しておかなければ、後日、紛争の種にもなります。そのために、より詳細な記録方法を編み出し、現代のような様式へと整備しました。

誰に貸しがあり、誰に借りがあるのか――。

私達ホモ・サピエンスは、複雑な人間関係を明らかにするための「能力」を卓越したものへと進化させてきた歴史があるのです。

人類最初の簿記は粘土製の「おはじき」

複式簿記が産声を上げたのは、ルネサンス期の北イタリアです。しかし、人類はそれよりもずっと以前から経済的取引を行っています。簿記そのものの成立史を追っていくと、なんと文明誕生の時代までさかのぼります。

メソポタミア文明は、言わずと知れた、人類最古の文明のひとつです。考古学者の手によって、すばらしい工芸品や彫刻とともに、粘土製の「トークン(おはじきのようなもの)」が大量に出土します。この用途をめぐり、学者たちのあいだでは「子供のおもちゃ」「お守り」「ゲームの駒」など諸説入り乱れました。そして近年、一人の考古学者によって「数の勘定」に使っていたことが突き止められたのです。

各トークンは、穀物や家畜と1対1で対応しており、記憶に頼らずとも在庫や財産の管理が実現できたのです。

たとえば家畜を1頭入手したら、トークンを保管しておく棚や箱に「家畜」のトークンを1個放り込む。家畜1頭をビール5壺と交換したなら、「家畜」のトークンを1個取り除いて、代わりに「ビール」のトークン5個を加える……といった具合です。

これも広義での「簿記」と言えます。