インターン経由で、リーマン・ブラザーズに新卒入社

【田原】大学は早稲田に進学して、すぐにプライベートエクイティファンドでインターンを始める。プライベートエクイティファンドって何ですか?

田原総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。東京12チャンネル(現テレビ東京)を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。本連載を収録した『起業家のように考える。』(小社刊)ほか、『日本の戦争』など著書多数。

【康井】簡単にいうと企業再生をするファンドです。伸び悩んでいる会社を買収して経営に入り込み、その会社を成長させて企業価値を高めてから、再上場するなどして利益を得ます。私がインターンをしたファンドは設立したてで、とにかく猫の手も借りたいから手伝えと言われまして。私も興味はあったんです。たとえばペットボトルの水が100円で売られているのは理解できますが、ある会社の企業価値が500億円といわれても、なぜその値段がついているのかよくわからない。コーポレートファイナンスを実務で学べるいい機会だと思って、インターンを始めました。

【田原】企業再生なんて、大学生にできるの?

【康井】雑用でしたから。せいぜいエクセルに数字を打ち込んだりとか、その程度です。

【田原】月給はどのくらい貰っていましたか?

【康井】けっこうよかったです。その後、リーマン・ブラザーズでもお手伝いを始めましたが、普通の社会人並みには貰っていたと思います。

【田原】大学卒業後は、そのままリーマン・ブラザーズに入られる。

【康井】リーマンでは学生のときからM&Aアドバイザリーの仕事をやっていました。たとえば会社の合併や買収のときに企業価値を算定します。ただ、卒業して正式に入社した年の9月に、リーマンショックがあって破綻。だから正社員としては半年ほどしか働いていませんが(笑)。

リーマンショック後、シリコンバレーのベンチャーキャピタルへ

【田原】その後は?

【康井】シリコンバレーにあるDCMベンチャーズで働き始めました。大手のベンチャーキャピタルです。当時、日本に拠点をつくろうとしているときだったので、シリコンバレー、日本、そして中国の3拠点を行ったり来たりしました。

【田原】そこを2年で辞めて起業する。

【康井】当時アメリカでよく質問されたのが、「日本はどうしたのか。昔はソニーやホンダが輝いていたのに、最近は何も日本から出てこない」ということ。そういう言葉を聞くうちに、日本からグローバルで憧れられる事業をつくりたいという気持ちが湧いてきて起業を決意しました。社名をOrigamiにしたのも、外国人でも知っている日本語にしたかったから。アメリカの幼稚園でも一回は折り紙を経験するので、みんな日本のものだと知っている。一枚の紙からさまざまな形がつくられる無限の可能性にも起業家精神を感じて、ちょうどいいなと。