「世代交代」に成功した熱海

逆にこのところ、変化していると感じるまちはコンパクトな場所であることが多い。たとえば、東京からは離れるが、静岡県熱海市は2000年以降の衰退した温泉街の代表としての相次ぐ報道、老舗温泉旅館の廃業などへの危機感から2006年の市長選で改革を掲げる市長を選び、観光協会その他の地域の団体の若返りを図るなどして変化をしてきた。近年、まちの将来を担う人達の高齢化が進み、その世代交代が必要とは言われるが、実現できているまちは少ない。財政再建も同様である。しかし、熱海市はそれらをやり抜き、2011年からは来街者が増え、賑わいを見せるようになってきている。

その熱海市は人口3万7000人(2017年10月時点。以下同)ほどの小さな市である。日本で最大の人口を抱える横浜市の373万人強に比べると100分の1のサイズであり、しかも人口は2000年の4万4000人弱からずっと減り続けてきている。規模から考えると人口減少は大都市に比べよりリアルに感じられる事実であり、危機である。だからこそ、なんとかしなければという思いが働き、それぞれが自分にできることをと立ち上がったのではないかと思うのだ。

麻薬、売春が跋扈していた黄金町

神奈川県横浜市中区にある黄金町もこの10年ほどで大きく変化したまちだ。元々は住宅と商店が入り混じるごく普通のまちだった黄金町(実際には黄金町、初音町、日ノ出町という3つのまちにまたがるエリア)が麻薬、売春が跋扈する、普通の人には近づきにくいまちに変わったのは戦後。

まちの評判を大きく毀損したのは1963年に封切られ、大ヒットした黒澤明監督の映画『天国と地獄』だ。このまちが麻薬を使った殺人事件の舞台として描かれたのである。実際にはセット内で撮影されたにも関わらず、以降、黄金町には暗黒街という枕言葉が付いて回るようになった。麻薬に関してはその後、地域に横浜市麻薬更生相談室が設置されたり、地元での麻薬撲滅運動などにより昭和40年代には下火になってきたものの、続いて問題になってきたのは違法な売買春店の増加だ。

特に1995年の阪神・淡路大震災後にこの地を走る京浜急行が高架橋の耐震補強を行うため、高架下の小規模飲食店舗に立退きを求めたのが店舗急増のきっかけとなった。移転に伴い、100店ほどだった店舗数が250店にも増加、それまでなかった地域にまで広がるようになったのである。この時期には店で働く女性は外国人が増え、不法滞在、エイズなど他の問題も懸念された。以前にはあった営業時間などで地域に迷惑をかけないようにという暗黙のルールも徐々に破られ、環境の悪化に転居したいという人も続出した。