2007年5月に社長に就任。12月には、東京・台場に新本社ビルが完成する。2つの事業部で鍛えてきた集団に、蓄積した企画力やデザイン力を前面に出す提案型営業を展開させ、乃村グループの年間売上高を初の1千億円の大台に乗せた。ところが、2年目の秋にリーマンショックが勃発する。

だが、社員たちは漠然と「会社はつぶれない」と思っていた。経費の使い方も緩んでいた。でも、売り上げは、あっという間に消えた。「意識改革をしなければいけない」との思いが蘇り、四十代で商環境部門で演じた役を、今度はグループ全体に示す。子会社も含めて何チームかに分け、「うちもつぶれるぞ」との危機感を、繰り返して説く。殿様商売に陥り、お客に頭を下げることも忘れていた社員たちが、怒られ、変わっていく。その手応えを感じ始めたときに、東日本大震災が起きた。

災害対策本部長になると、被災者・被災地向け応援・支援プログラム「みんな つながろう!」をスタートさせる。リーマンショック後の再教育があったから、もう「載沈載浮」は要らない。社員たちが危機感を共有し、それぞれが何を果たすべきかを考えて動く。

岩手県陸前高田市の海岸で津波に耐えた「奇跡の一本松」の保存業務を受託し、技術集団が総力を挙げて防腐処置を施し、元の場所に戻す。2012年5月に開業した東京スカイツリータウンでは、高さ634メートル、自立式電波塔としては世界一のスカイツリーの足元に広がる商業施設や水族館、プラネタリウムなどを企画し、デザインや内装を手がけた。

本社の応接フロアに、「奇跡の一本松」のDNAを持つ松が飾られている。1階には、創業期の東京・両国国技館での「菊人形」の大仕掛けの模型も置いてある。見所だった「段返し」の説明に「できない」とは言いたくないから引き受けた、とある。企業理念をまとめた「ノムラウエイ」にも「逃げない」「諦めない」を記した。

事業が拡大するにつれ、中途採用者が増えている。異業種からも多く、それぞれの価値観もある。それにはいいものも悪いものもあり、乃村の企業文化に合うものなら、採り入れたい。ただ、「逃げない」「諦めない」の精神に欠けては、困る。2015年5月に会長になっても、このDNAを説く役は続いている。

乃村工藝社 会長 渡辺 勝(わたなべ・まさる)
1947年、東京都生まれ。70年獨協大学経済学部卒業後、乃村工藝社入社。93年取締役、97年常務、2003年専務、07年社長。15年5月より現職。
 
(書き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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