改ざんまでして隠さなければならない事実は何か

【塩田】財務省の出身ですが、財務省の現在の姿はどう映りますか。

【玉木】情けないやら悲しいやら。ただ、冷静に考えたら分かりますが、改ざんする動機付けが役人にはない。安倍首相の昭恵夫人に関する記述を削ることに何の意味があるんですか。改ざんまでして隠さなければならなかった事実は何か。ここが今もポイントです。決裁文書を書いた近畿財務局の人間は全部知っています。知らないはずがない。

解明すべき点がいくつかありますが、改ざんされた14の文書はどれから改ざんを始めたかという問題がある。同時にやったのではなく、最初に一つ変え、そこを変えたら、関係する同じような記載のある部分を全部触っていく。私も法律を作っていましたので分かりますが、1カ所直すと、関連法令にはねる。そのはねを縦、横、斜めに全部チェックして直し切るのが優秀な官僚です。役人は今回、その能力を悪いことに使ったんです。

貸付を特例で認めようという本省決裁の「特例承認文書」の添付資料に「昭恵夫人」と「日本会議」が出てくる。当時の大阪府の学校設置基準では、学校校舎は自己所有の土地の上にしか建てられないという規則があった。ところが、ここは借地です。大阪府も土地を提供した国も、なぜ規則違反、法令違反を認めたのか。2014年3月15日、近畿財務局は「貸付、駄目」と言った。なのに、1カ月後の4月25日に安倍昭恵さんが現地を訪問して3人で並んで写真を撮った。3日後、籠池泰典さん(元森友学園理事長)が近畿財務局に行って、その写真を見せて、ああだこうだと言った。そこで、括弧書きにある「写真も見せた」とか「いい土地ですから、前に進めてください」という一連の発言が出てくる。その1カ月後に近畿財務局が借地での学校建設にOKを出す。この因果関係はどうなっているかという部分が一番、大事な点です。昭恵さん訪問の写真を見せたという情報が決裁文書に書かれてあったのをなぜ消したのか、ここを明らかにしなければいけない。

これは昭恵さんにしゃべってもらうしかない。国会に呼べなくても、公式な場できちんと記者会見しないと終わらないですよ。安倍首相自身、去年2月17日に「私や妻が関係していたら総理大臣も議員も辞める」と国会で答弁した。「関係していたら辞める」と言ったのだから、関係のあり方について話すべきです。

さらに、「ない」と言っていた4000ページの文書が出てきたりした。普通なら内閣が吹っ飛んでいます。なのに、「何の問題もない」みたいに言っている。おかしいですよ。麻生太郎財務相の辞任が実現するように攻勢を強めたい。場合によっては、安倍首相自身の問題にもなります。国会は7月22日まで延長になりましたから、この先、国会に内閣不信任案を出すことになるでしょう。そのとき、もしかすると、安倍首相は解散・総選挙で対抗するのでは、という話もありますが、その場合はわれわれも受けて立たなければならない。そうなると、政権構想を示す必要がある。立憲民主党と国民民主党を中心に連立政権を、といった具体的な政権構想を示しながら、安倍首相を退陣に追い込んでいく。野党側にその気迫が必要です。

【塩田】財務省の官僚だった玉木さんは、なぜ政治家の道を目指したのですか。

【玉木】私は小泉純一郎内閣で3人の大臣にお仕えし、世の中を前に進めるのも政治だけど、ストップをかけるのも政治だと思いました。政治の力を正しく使っていい政治をやるのも大事だけど、同時に、世の中を変えたいと思うときにも政治の力が必要です。

自民党政権はいい政策もやるし、戦後の発展を築いてきた立派な政党だと思いますが、閣僚は2世、3世ばかり、首相も世襲議員しかなれない。世襲を全否定するつもりはありませんが、多くの人の生活実感と共にあるような人が政権を担って本当の意味の国民のための政治をやっていく。自民党と違うもう一つの軸が大事ではないかと思った。だったら、傍観者ではなく、自分が政治の世界に入って新しい政治を、と思い、挑戦したんです。

【塩田】大学を卒業して、大蔵省(現財務省)を選択した理由は。

【玉木】天下国家のために働きたいと思ったのが原点です。小さい頃、祖父に「世のため、人のために働けよ」と言われて大きくなった。祖父は農家で、市井の人間ですが、家族の幸せと同時に、国の未来を真面目に考えていた。そういうことを考える普通の日本人がたくさんいることが日本の強さだと思う。そんな祖父に育てられ、何か公のためにという気持ちがつねにあって、それを実現できるのは大蔵省と思いました。

ところが、入ったら、接待スキャンダルが起き、名前も財務省に変わり、組織も分断されて金融庁ができた。不祥事があり、こんなことでいいのかと思った。大蔵省の先輩たちを見ていて、政治がしっかりしていないと、行政も歪んでくると知った。「政治が駄目だから俺たちが全部仕切るんだ」という慢心を生んだ。今でも非常に優れた組織と思いますが、政治がリードして、正すところは正さなければと思い、政治の世界に入りました。

玉木雄一郎(たまき・ゆういちろう)
国民民主党共同代表・衆議院議員
1969年5月1日、香川県大川郡寒川村(現さぬき市)生まれ。現在49歳。祖父は地元の農協の組合長、父も農協の仕事に従事。農家の長男として育つ。香川県立高松高から東京大学法学部に進む。卒業後、大蔵省(現財務省)に入省。アメリカに留学し、97年にハーバード大学ケネディスクール修了。帰国後、外務省、金融庁、内閣府などに出向。内閣府特命担当相だった石原伸晃、金子一義、村上誠一郎の各大臣の秘書専門官を務める。退官して、2005年の総選挙に香川2区から民主党公認で出馬して落選。09年総選挙で初当選(以後、香川2区で連続当選4回)。民主党副幹事長・政策調査会副会長を経て、16年9月の民進党代表選に出馬(3位敗退)。民進党幹事長代理となる。17年11月の希望の党共同代表選挙に出馬して共同代表となる。辞任を表明した小池百合子代表の後継として希望の党の単独代表に。18年5月、国民民主党の結党に参加し、大塚耕平・元民進党代表とともに共同代表に就任。
(撮影=尾崎三朗)
関連記事
51年目の「ドライブイン」閉店する理由
「対決よりも解決」で信頼を取り戻せるか
"野党が永遠にダメな状況"を変えられるか
もりかけ疑惑にこだわる野党はバカなのか
「民進・希望」新党で信頼は取り戻せるか