なぜ小泉首相は2度目の訪朝を行ったのか
【片山】04年5月、小泉純一郎が再び訪朝して、5人の拉致被害者家族を帰国させました。世間はイラクの拘束事件とは逆に温かく迎えた。
【佐藤】小泉は、なぜ2度目の訪朝に踏み切ったのか。いや、なぜ再び訪朝しなければならなかったのか。これは外交の観点から見ると非常に分かりやすい。
先ほども話しましたが、02年の日朝平壌宣言で、北朝鮮が拉致を謝罪して核と弾道ミサイルの開発を止めれば、日本は経済支援を行うと約束した。しかし日本はその前提となる約束を破った。2週間で北朝鮮に戻すはずだった拉致被害者を帰国させなかったのです。とはいえ、そのまま放っておくわけにはいかない。
外交の世界では約束は絶対です。どんなに卑劣で極悪非道な相手でも約束を反故にした側に否がある。そう考えると2度目の小泉訪朝はお詫び行脚だったことが明白です。北朝鮮側からすれば「2年前の詫びを入れるなら、我々の高い人道的観点から家族を帰してやる」という言い分になる。
日本は、北朝鮮に外交上の借りがあったんです。この認識を持てないと日朝関係の構造が見えてこない。
【片山】拉致被害者やその家族を取り返したことには意味があった。でもその失敗は今の日朝関係に影を落としていますね。
日中戦争の経過を見ても外交上に様々な問題が起きています。いま振り返れば、あのタイミングでああしていれば、あそこでこうしていれば、と指摘はできる。しかし取り返しはつかない。歴史を決定付けるのは1つのミスです。
【佐藤】しかも、小泉訪朝の場合、交渉の記録が残っていない。それもまた問題です。
作家
1960年、東京都生まれ。1985年、同志社大学大学院神学研究科修了の後、外務省入省。在英日本国大使館、在ロシア連邦日本国大使館などを経て、外務本省国際情報局分析第一課に勤務。2002年5月、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕。2005年2月執行猶予付き有罪判決を受けた。主な著書に『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』(毎日出版文化賞特別賞)、『自壊する帝国』(新潮ドキュメント賞、大宅賞)などがある。
片山 杜秀(かたやま・もりひで)
慶應義塾大学法学部教授
1963年、宮城県生まれ。思想史研究者。慶應義塾大学法学部教授。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。専攻は近代政治思想史、政治文化論。音楽評論家としても定評がある。著書に『音盤考現学』『音盤博物誌』(この2冊で吉田秀和賞、サントリー学芸賞)、『未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命』などがある。