佐藤優、片山杜秀『平成史』(小学館)

【片山】なるほど。日本はトランプ政治の混乱を先取りした可能性もあったのか。さすが「世界に冠たる日本」です(苦笑)。

【佐藤】そうです。だから鈴木宗男さんの政治家としての最大の功績は、田中眞紀子と刺し違えて公職から外したことなんですよ。

田中外相更迭のきっかけは、02年1月のアフガニスタン復興支援国際会議でした。鈴木宗男さんが出席予定のNGO団体に圧力をかけて参加を取りやめさせた、と田中が主張した。もちろんそんな事実はありませんから、鈴木さんは真っ向から対立した。

【片山】とはいえ、当時の田中眞紀子人気はすごかった。勝算はあったのですか。

【佐藤】おっしゃるように世間は圧倒的な田中支持です。私も「こんな状況で、田中さんを敵に回しても大丈夫なのですか」と聞きました。鈴木さんは「向こうは明白なウソをついている。いくら人気があっても大丈夫だ。事実関係について100対0なら勝負できる」と語り、国会で疑惑の追及に対して全面的に否定した。

その後、国会審議を混乱させたとして田中眞紀子は外相を更迭されて、鈴木さんも責任をとって衆議院議院運営委員長を辞任した。その後、宗男バッシングの嵐が吹き荒れ自民党も離党したんです。それからしばらくした02年5月、東京地方検察庁に私が逮捕され、6月、鈴木さんが逮捕されました。

「拉致被害者を2週間で返す」という約束を破った

【片山】日朝関係が一気に動き出したのは、田中外相更迭後です。小泉訪朝が02年9月。日朝首脳会談が行われて、日朝平壌宣言が交わされた。5人の拉致被害者が帰国しました。さらに2年後には5人の拉致被害者家族も帰国した。拉致被害者奪還が小泉政権最大の功績という見方をする人が多い。佐藤さんは小泉訪朝をどう評価されますか?