昼メシは「楽しみ」にも「苦痛」にもなる

そんな調子で入店しても、子分風の男はずっと気をつかい続けるだけで、店内にいる時間も楽しくないだろう。アクの強そうな上司とそれに付き従う従順そうな部下、なんてグループを昼時のオフィス街で見るにつけ、「自分は昼メシを食わない人間になれてよかった」とつくづく思う。昼食がサラリーマンにとってどんな存在なのかについては、漫画『美味しんぼ』3巻に掲載されている『昼メシの効果』というエピソードで富井副部長がこう述べている。

「昼メシというのはサラリーマンにとって最大の楽しみであると同時に、苦しみでもありますな。食べるのは楽しいが、その日その日の気分と体調に合わせて、何を食べるか選ぶのが一仕事だし、お目当ての店に来ても満席で入れなかったりもするし……」

昼食が「サラリーマンにとって最大の楽しみ」などといえるのは、人間関係がよい職場限定の話だろう。人間関係が一概によくない職場にいた場合、「最大の楽しみ」とはならない。本来、昼休みはその名の通り、休んでリラックスするための時間である。にもかかわらず、説教をされたり、嫌いなものを食べさせられたりしてしまう。そんな苦痛をもたらすこともあるのが、昼食のひとときなのだ。

「断捨離」という言葉もあるように、人生において無駄なことはどんどん捨てていくほうが、生きるのはラクになる。面倒なだけの人間関係、勢いでそろえてしまい“場所ふさぎ”になってしまった家具、買い過ぎて置き場のない趣味のプラモデルやらフィギュア、もう二度と読まないであろう本などは容赦なく捨てていいわけだが、同様に「昼メシ」というものも、人生から排除してしまって何ら問題ない。実際、自分はそれで21年間やってきたし、多分これからも一生昼メシは食べないと思う。旅行のときでさえ、昼メシは絶対に食べない。

周囲の人々には諦めてもらう

人生で非常に重要なのは、周囲から「あの人は○○な人」というレッテルを貼られ、諦めてもらうことである。レッテルというとネガティブなイメージもあるかもしれないが、周囲から寄せられる「無駄な期待感」を排除できるという利点がある。

「あの人は遅刻をする人。だからもう、自分たちだけで会議を進めてしまい、決まったことを事後報告すればいいよ。別にそれで文句を言われるわけでもないし」「あの人はいつも『お金がない』と誘いを断る人。たまに来ても『高い』と嫌みばかり。だから誘わないでいいよ」「あの人はとにかく趣味に没頭する人。だから週末に声をかけるのはやめておこうよ」──こんな感じで、自分も周囲も幸せになれる選択ができるのである。

私の場合は「中川は昼ご飯を食べない人」というレッテルを貼ってもらえたため、ランチの誘いがなく非常に快適である。一方で酒を飲むのは好きなため、「中川は飲み屋で酒を入れながら打ち合わせをする人」というレッテルが貼られており、打ち合わせは大抵17時以降、渋谷の居酒屋でやることとなる。これが自分にとっては実に心地よい。