【松尾】「保守派」と言っていいのかどうかはわかりませんが、世の中を上層と下層で分けた場合の「上」にいるお金持ちの側から見ると、そもそも不況で低成長の社会が続いていても、それで差し支えがないという側面もあるんですよね。ある程度失業者が社会にいてくれたほうが賃上げもしなくていいし、「お前の代わりはなんぼでもいるぞ」という脅しがききやすいので、大企業は労働者に対して優位に立てます。でも、ほかに勤め先がたくさんあれば、それは難しくなりますよね。だから、不況であればあるほど、ブラック企業というのは淘汰されずにはびこるんです。
古市=上野の牛丼福祉レジームは「勝ち組」の思想
【北田】だから、ゼロ成長社会がいかに人びとを苦しめるものなのかという現実的な問題をすっとばして、豊かなインテリが「もう経済成長はいらない」なんて言っても、長期不況に苦しめられてきた人にとっては、単なるお金持ちの戯言にしか映らないんじゃないかと思うんですよ。もっと厳しく言えば、古市=上野の牛丼福祉レジームは単なる「勝ち組」の思想です。それでわたしは上野千鶴子さんや内田樹さんたちの脱成長論を批判して、「脱成長派こそ勝ち組のネオリベ思想じゃないか」という文章(「脱成長派は優し気な仮面を被ったトランピアンである」『シノドス』2017年2月21日)を書いたんですけど……。
【ブレイディ】炎上してましたね(笑)。でも、北田さんのおっしゃることは、よくわかります。以前、わたしも経済成長を否定して収縮を唱える人たちに対して「縮むことができるのは、もう大きくなっている人びとであり、坂道を下ることができるのは、すでに坂を上がった人だ」(「下り坂をあえて上る」『一冊の本』朝日新聞出版、2017年11月号)と書いたことがあるんですけど、いまの若い人たちは先行世代がつくった国の借金を返すための緊縮で、可処分所得も減っているのに巨額の借金を抱え、未来への明るい展望が持ちづらいですよね。
それなのに、これから上るべき坂を目の前にしている若い人たちに対して、すでに坂の上のほうにいる人たちが、縮めとか、下りろとかいうのはとても残酷なことだと思います。しかも、彼らが直面している坂道は上の世代のそれのように静止しているわけではありません。まるで下りのエスカレーターのように、それ自体がつるつると下方におり続けている。彼らやその下の子どもたちの世代のことを思えば、日本には優雅に坂道をそぞろ下りている余裕はないはずなんです。
「これからは物の豊かさじゃなくて、心の豊かさだ」なんて話もよく聞きますけど、成長を放棄してどんどん萎んでいく国で、「豊かな心」が育てられるなんてわたしには到底思えません。「縮小社会」とか「シュリンキング・ジャパン」とか、そういう言説を広げること自体有害だと思います。一国が店じまいすることはできません。これから生まれてくる赤ん坊だっているんですから。わたしは保育士なので、本当にここら辺は強くそう思います。
保育士・ライター・コラムニスト
イギリス・ブライトン在住の保育士・ライター・コラムニスト。著書に『ヨーロッパ・コーリング』『THIS IS JAPAN』『子どもたちの階級闘争』『労働者階級の反乱』など、共著に『保育園を呼ぶ声が聞こえる』などがある。
松尾 匡(まつお・ただす)
立命館大学経済学部 教授
1964年石川県生まれ。立命館大学経済学部教授。専門は理論経済学。著書に『商人道ノスヽメ』『不況は人災です!』『この経済政策が民主主義を救う』など、共著に『これからのマルクス経済学入門』『マルクスの使いみち』などがある。
北田暁大(きただ・あきひろ)
東京大学大学院情報学環 教授
1971年神奈川県生まれ。東京大学大学院情報学環教授。専門は社会学。著書に『広告の誕生』『広告都市・東京』『責任と正義』『嗤う日本の「ナショナリズム」』など、共著に『リベラル再起動のために』『現代ニッポン論壇事情』などがある。