▼症状(2)自己主張

2つめは、特にトップマネジメントの自己主張に表れます。「自社への批判は当たっていない」「自分たちの意見は絶対的なものだ」と思い込む傾向のことです。

雪印乳業が00年に起こした集団食中毒事件は、1万3420人が被害を訴えた戦後最大級の食中毒事件でした。この事件では、当時社長だった石川哲郎氏が記者に詰め寄られて「私は寝ていないんだよ!」と発言したことが大きく報道され、世間のひんしゅくを買いました。クリーンで純粋なイメージを持っていた雪印ブランドは失墜し、雪印乳業は解体されてしまいました。

アメリカのアパレルブランドであるアバクロンビー&フィッチ(アバクロ)社のCEOだったマイク・ジェフリーズ氏は、92年から務めてきたCEO職を14年に退きました。当時、彼が06年に雑誌のインタビューで行った次の発言が批判の対象となりました。

「我々はかっこよくて、見栄えのする人たちに対してマーケティングを行っている。それ以外の人たちはターゲットにしていない」(「フォーチュン」誌、14年12月9日号)

このように、ブランドが強くなり、「自分たちは無敵だ」と思ったときこそ、「どのような発言も許される」という態度が出やすくなります。

▼症状(3)成長への誤解

3つめは、自社の次のステップを間違うことです。自社のブランドにとらわれて、次の成長をどの方向に見出すべきかがわからなくなってしまうということです。

ソニーが00年代以降にブランドとしての輝きを失った大きな原因のひとつは、アップルのiPodやiPhoneのように、ブレークスルーを生むひとつの製品分野に徹底して集中できなかったことです。ソニーがアップルに先駆けて発売していた製品はいくつもあります。例えば、00年に発売した「クリエ」という携帯情報端末(PDA)は、電話機能こそついていなかったものの、iPhoneのコンセプトに先んじるような製品でした。

ソニーがアップルのようにできなかった理由は、事業範囲をエレクトロニクス以外にも金融、音楽、映画などあまりにも広げすぎて、イノベーションを一点に集中できなかったためです。また、エレクトロニクス事業の中でも、資源の集中ができませんでした。ウォークマンひとつをとってみても、異なる部署から「メモリースティックウォークマン」「ネットワークウォークマン」など複数の製品が発売されました。

同様のことはセイコーにも言えます。同社は60年代から80年代にかけて、さまざまな「世界初」の製品を生み出してきました。例えば、82年には世界初のテレビ付き腕時計を、84年には世界初のコンピュータ機能付き腕時計を発売しています。しかし、それらの製品群はセイコー・ブランドを腕時計以上の存在に導くことはありませんでした。

スイスの腕時計産業の復興を担ったスウォッチ グループ社長のハイエック氏は、セイコーは本来、腕時計に集中すべきであったのに、自身を電子産業の一部と位置づけたことで競争力を失ったと指摘しています。