勝利の責任を負うということ
見た目にはっきりと山田が変わってきたのは、昨シーズンの夏場を前にしたころだった。ピッチのうえでまったく足を止めない。消えてしまう時間帯がほとんどなくなり、いたるところに絶えず顔を出し、1試合の総走行距離も多いときで13キロ近くに達するようになった。
治療の効果がようやく出てきたと、思わずにはいられなかった。ゴールをいくつ取ったとか、アシストをいくつ決めたという問題ではない。とにかく走るようになったし、守備で生じるスペースを誰よりも先に埋めようと、ディフェンスでも率先して頑張るようになった。
しかも、自分が評価されるためではなく、チームのために走っている、という献身的な思いがベンチにもひしひしと伝わってきた。そういうほうがはるかに楽しいことに、ようやく気がついたと言っていい。待望の第一子となる長女が16年の夏に生まれ、守るべき家族が増えたこともプラスにはたらいたはずだ。
楽しそうにプレーするということは、何も自由奔放さがベースとなるわけではない。ベルマーレでもレッズでも、あるいは他のチームでも求められる確固たるものがあるなかで、楽しさを表現していかなければいけない。
プロとして生きていくうえで人生設計が甘かった
ならば求められるものとは何か。答えはメディアを通じてよく見聞きするようになった、山田のこんな言葉のなかに見え隠れしている。
「これだけ多くの試合に出させてもらっていると、チームが勝利することへの責任とは、こんなにも重たかったのかと感じている」
あえて厳しい見方をすれば、責任を感じるのが遅いと言わざるを得ない。昨年7月で27歳になった。J1の舞台で中心になって輝かなければいけない年齢であり、精神的な部分における準備が足りなかった、プロとして生きていくうえで人生設計が甘かったことが理由となる。
だからといって、27歳になる年でもう遅いとあきらめるのか。あるいは、いまからでも変われると一念発起するのか。考え方次第でまったく変わってくるし、実際、山田は後者を選んで再びスタートラインに立った。
昨シーズンの山田は最終的に39試合に出場し、プレー時間は3030分に達した。夏場以降はフル出場する試合も多くなった。
それまでの自己最多がプロ契約を結んだ09年シーズンの20試合、1365分だったから、スタートラインからさらに前へ飛び出したと言ってもいい。ただ、忘れてはいけないのは、昨シーズンの舞台がJ2だったことだ。