なんだか街全体が荒涼としている。地中から噴出した土砂が堆積し、もうもうと土ぼこりが舞う。マスクをしていても、たちまち鼻がむずむず、目とのどが痛くなる。風呂も入れずシャワーも浴びられないので、髪はべとつき、汗臭く、何とも不快な匂いがからだ全体から漂う。
新浦安駅前の大型スーパーには毎朝、開店を待つ長い列ができる。もうひとつの住宅地の大型スーパーは周囲が1メートルほど陥没しながら、1カ所だけの入り口を開けてオープンしている。インスタントラーメン、レトルト食品、乾電池は品切れ状態がつづく。
「たいへんだ」。ライフラインが寸断され、これが住民の口癖となった。市内の小、中学校は18日までは臨時休校となった。当然、卒業式は延期である。発生から1週間、水道水は戻らない。ストレスがじわりたまる。17日、そこへきたのが停電である。大型スーパーも閉じ、街から明かりが消えた。実家や都心のホテルなどに避難する人が増えている。
救いがボランティア活動である。自分も時間が許せば参加しているけれど、若者が多いのに驚いた。ディズニーリゾートで働く外国人もスコップで土砂を撤去している。
ライフラインはいつ復旧するのか。もはや助け合いだ。一緒に耐えるしかない。繰り返すけれど、東北の被災地に比べると浦安はなんということはない。それでも今回の地震に際し、都市生活のモロさと、助け合いの輪の大事さを知ったのである。
※すべて雑誌掲載当時