経営者を育てる標準的な方法はない
この「具体と抽象の往復運動」を行ううえで、『経営者になるためのノート』は素晴らしい教材です。FRの歴史という「文脈」の中に経営の原理原則が置かれているため、とてもわかりやすい。
たとえば第2章「儲ける力」の第4項「現場・現物・現実」の中に、「指示をして仕事が終わりではない」という言葉が出てきます。これは柳井さんの原理原則のひとつですが、これだけでは「そうですね」で終わってしまう。ところがこのノートには以下のような文章が続くのです。
ユニクロがフリースに挑戦し始めた当初、さまざまなトラブルが続発した。担当者に理由を質すと「中国の工場には電話で何度も指示を出しているのですが……」という返事。そこで柳井さんは「指示をして仕事が終わりではない」と担当者に言った。「中国の工場はパートナーなのだから、直接現地に行って、現物を前にして一緒に問題解決をしないとだめなのではないか」――。
このように、原理原則を文脈の中に置いてみると、抽象度の高い原理原則も、生き生きとした実感を持って理解できるようになります。
本書の素晴らしさは、それだけではありません。最も重要な点は、本書が「ノート」であることです。読むだけではなく、書き込める点が教材として素晴らしいのです。
FRMICが育てようとしている経営者人材とは「私が稼いできます」あるいは「私が儲けてきます」と宣言して、実際に事業を立ち上げ、利益を出せる人です。「経営者人材=国力」といっていいほど重要な存在ですが、現状では極めて稀少です。
社長や役員であっても、経営者人材であるとは限りません。重要なのは自分の仕事に対する構え、姿勢です。数万人の部下を率いる立場でも、稼ぐ力がなく、「自分の仕事は××担当だから」と認識している人は「担当管理者」にすぎません。経営者に「担当」はないからです。
経営とは、商売の塊を丸ごと動かして長期的に利益を出し続けることです。では、どうすれば稼げるのか。決まった答えはありません。私は経営学者として、「経営とはアートである」と考えています。優れた経営者とはアーティストであり、優れたセンスの持ち主なのです。
センスの対極にあるのがスキルです。「担当者」としての特定のスキルの持ち主を労働市場の中から探し出すことは容易なことです。なぜならスキルは習得できるからです。英語というスキルがほしければ、英語を学べばいい。スキルの習得に必要なのは、正しい方法論と時間と継続的な努力の3点。これを積み重ねれば、スキルは必ず習得できます。
ところが、センスは学習によって身につけることができないのです。別な言い方をすれば、教えることができない。スキルを持った担当者は育てることができても、センスを持った経営者は育てることができないのです。実際、世界中のどの国を見回してみても、経営者を育てる標準的な方法は存在しません。