慰安婦問題の提起から生じた一連の経緯で、橋下さんと維新運動への期待は萎みました。仮に橋下さんの意図が慰安婦問題をめぐる「国際比較の必要性」にあったとしても、世論はそうは受けとらなかった。「(兵士に)休息をさせてあげようと思ったら慰安婦制度が必要なのはこれは誰だってわかる」との発言や「(沖縄で米軍は)もっと風俗業を活用すべき」との発言とセットで解釈されたからです。そこに悪意ある切り取りが存在したことは否定しません。ただ、そこは政治家としての結果責任を見ざるをえないと思うのです。

発言の影響は大きかった。今日に至るまで、維新への女性の評価は相対的に低いのです。大阪都構想の住民投票では、女性の賛成票は世代によっては15ポイントも低かった。海外での評価はもっと顕著で、維新は男尊女卑の反動右翼との見方が定着してしまっています。

私は、維新という政治運動が持っている可能性を一貫して評価してきた、政治学者の中では圧倒的な少数派です。むしろエリート支配が行き過ぎることによる危険に警笛を鳴らしてきました。私が書いてきたものについてご存じないのは仕方ありませんが、自らが敵だと認識してきたものに似せて私を模(かたど)るのは、案山子論法であり、的外れです。

私が指摘してきた維新の持ちうる最大の可能性は、自民党の最も本質的な対抗勢力として、この国の政治に持続可能な二大政党制を定着させられるかもしれない点です。そのとき、維新が旗印とすべきは「反利権」や「地方重視」や「自由」だと思っています。橋下さんの政界復帰を期待する声は今なお強いし、私もそう思う一人です。それ故に、過去の失点をいたむのです。

間違いを認めるのは弱さではないと思います。観察者を叩くのは強さではないと思います。喧嘩上手もいいし、既得権益に食ってかかり、対立点を強調するスタイルが必要な場面もあるでしょう。しかし長い目で見れば、国民はリーダーのハートを見ています。

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