格差になって広がっていく

若新雄純(わかしん・ゆうじゅん)
人材・組織コンサルタント/慶應義塾大学特任講師
福井県若狭町生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程(政策・メディア)修了。専門は産業・組織心理学とコミュニケーション論。全員がニートで取締役の「NEET株式会社」や女子高生が自治体改革を担う「鯖江市役所JK課」、週休4日で月収15万円の「ゆるい就職」など、新しい働き方や組織づくりを模索・提案する実験的プロジェクトを多数企画・実施し、さまざまな企業の人材・組織開発コンサルティングなども行う。
若新ワールド
http://wakashin.com/

そう考えると、「無条件幸福」は今後、社会的な格差となって広がっていくのではないかと思うのです。

なぜなら、社会的比較に縛られず無条件に自分のことを肯定できるようになれるかどうかは、子どものころの育った環境が大きく影響していると考えられるからです。大人になってから、そのメカニズムが理解できたとしても、自分にへばりついた比較意識や条件への執着からは簡単には抜け出せません。人生の幸福に対する向き合いかたや基準のようなものが、思春期くらいまでにある程度形成されてしまう可能性が高いのです。

大人になって社会に出れば、否応なしに毎日が「比較」の連続です。社会とはそもそも、人間の相互関係に成り立っているわけですから、無人島にでもいかない限り、その前提条件から逃れることはできないでしょう。しかし、そんな社会的な「比較」は、あくまでただ概念として存在するだけです。

それとは関係なく自分は唯一無二の存在として無条件に価値があるのだと自己肯定できる状態で仕事や生活をしていくのか。はたまた、「比較」そのものが自分の価値や意義を決定づけるものだと捉えながら条件に縛られて生きていくのか。考え方のスタンスによって日々起こることがまったく違う意味のものになり、あくまで主観でしかない人生の幸福感は大きく異なってくるのだろうと思うのです。そしてこれは、多くの場合、世代を超えて連鎖していきます。比較や条件に縛らえて生きてきた人たちは、自分の家族や子どもにも、また「良い条件」を求め続けてしまいます。

ここで重要なのは、「よい条件であれば大丈夫」ということではない、ということです。親子などの重要な関係性の中で、常に比較や条件を求められて時間をすごしてしまうことそのものが、点数を取れる取れないに関わらず、人生を「無条件幸福」から遠ざけてしまいかねない、ということです。この連鎖を断ち切ることは、よほど意識して取り組まなければできないでしょう。

ただ競争に勝てば豊かになれるとは限らない時代、自分の子どもや大切な人たちに対して、「そのままでいいんだよ」と言ってあげられるかどうか……。なんだか偉そうなことを言っていますが、そんな僕も、常に社会的な比較や競争を意識し、条件に縛られた窮屈な日々を送っているのです。

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