失敗から生まれた日本初の仕組み
【鈴木】私の体験をお話しすれば、セブン-イレブンの創業も、初めからすべてが成功したわけではなく、ある種の失敗から始まっています。
社内外の反対を押して創業を決断し、アメリカでサウスランド社との交渉が始まりますが、これが難関でした。先方の本社はダラスにあり、総合商社の支店長を介して本社を訪ねると、対応に出た担当者は日本に関心を示さず、門前払い同然でした。
糸口がつかめないまま1年近く経ったとき、その商社の幹部が休暇で訪れたアカプルコでサウスランド社の顧問弁護士と偶然知り合いになり、その口利きで先方のトップと会えることになりました。トップ級となると日本についての知識も豊富で、進出に関心を持ってもらえ、日本におけるエリアフランチャイズ契約の交渉が始まります。
ただ、先方が提示した条件は「事業は合弁にする」「出店地域を限定する」など、手かせ足かせで、承服しがたいものばかりでした。相手は世界最大のコンビニチェーン、こちらは日本の小売業界で15位の中堅で格が違いますが、ここは引けません。粘りに粘った交渉で何とかこちらの案を認めてもらう。
最後まで残ったロイヤルティ(権利使用料)の率の問題も、対売上高1%の要求に対し、決裂覚悟の談判で譲歩を引き出し、0.6%で決着します。
【稲盛】交渉に意を注いだ成果ですね。
【鈴木】ところが、契約後、初めて開示された27冊に及ぶ経営マニュアルを見て、あ然とします。「これは日本では通用しない」。マニュアルは店舗運営の初心者向け入門書のような内容ばかりで、求めていた経営ノウハウはどこを訳してもありません。日本に持ってくれば活用できると考えたのは、私の勝手な思い込みにすぎなかったのです。さんざん交渉で苦労したのに、現実にはこういうミスや失敗もあるのです。
【稲盛】有意注意でやっても、人間、どこかに無意注意が潜んでしまう。
【鈴木】それは新入社員を連れて、アメリカでの研修の最中で、みんなには、とても伝えられませんでした。その10人ほどの社員も新聞広告で募集し採用したばかりで、元航空自衛隊のパイロット、全繊同盟の元専従、元商社マンなど、小売業の経験のない素人ばかりでした。
マニュアルが使えない以上、自分たちで考えるしかありません。だからこそ、素人集団は、流通業の既存の常識にとらわれず、日本初の本格的コンビニエンスストアチェーンの仕組みを自分たちでゼロからつくりあげることができたのです。
いつまでもミスや失敗にとらわれず、常に前に進むことを考えるべきです。