逆風下でも、ぶれない、逃げない、悩まない。幾たびも激烈な競争と反対を制してきた、稲盛和夫氏と鈴木敏文氏、2人の経営の神様の思考回路を全解明。
すべての意識と神経を集中させる
【鈴木】ミスは誰にでもあります。人間、ミスしたことや失敗したことに対して、平気でいられる人はそういません。だから、ミスしたこと自体は早く忘れて、仕切り直す。ミスをしないようにと、そればかりをあまり真剣に考えるより、次の一歩を踏み出すことです。
【稲盛】なぜ、人はミスをしてしまうのか。仕事をするときの意識の持ち方には、「有意注意」と「無意注意」があります。有意注意は、意を持って意を注ぐこと。「これを目指してこうやってみよう」と、目的を持って意識や神経を対象に集中させることです。一方、ただ漫然と対象を眺めたりするのは無意注意です。
一般的に、たびたびミスを犯すのは、心の持ち方が無意注意であるからで、有意注意で仕事をしていれば、よほど不器用でないかぎり、そんなに失敗しないはずです。
有意注意とは、たとえていえば、錐きりで穴を開ける行為に似ています。錐は力を先端の一点に凝集させることで効率よく目的を達成する道具です。その力の源は集中力です。錐のようにすべての意識や神経を一つの目的に集中すれば、誰もが必ずことをなしうるはずです。
【鈴木】まさに集中力ですね。
【稲盛】昔、こんなことがありました。京セラの創業8年目に念願かなって、アメリカのIBMから集積回路用基板を大量に受注できたときのことです。IBMが求める仕様はケタ違いに厳しいものがありました。何度試作してもはねられ、ようやく規格通りの製品ができたと思って納品しても、不良品と判定されてしまう。私も工場の寮に泊まり込んで苦闘する日が続きました。
ある日、夜中に工場を見て回ると、若い社員が電気炉の前に立ちつくし、肩をふるわせて泣いていました。セラミックを焼成する工程で何度やっても炉内が均一の温度にならず、焼き上がりの寸法に微妙な差が出てしまう。何をやっていいのかわからなくなり、意気消沈していたのです。「今日はもう寝ろ」といっても動こうとしません。そこで私はこんな言葉をかけました。「どうかうまく焼成できますようにと神に祈ったか」。神に祈るしかないほど、最後の最後まで精魂込めて、努力と創意工夫を重ねたのかと問うたのです。
私は製造現場でよく部下たちに、「機械の泣いている声が聞こえるか」と問う指導を行っていました。設備を擬人化し、その声が聞こえるほど対象と一体化し、仕事に打ち込まなければ、手の切れるような高品質の製品はできないことを説きました。そこまで、心を込め、意を注ぎ、考えうるかぎりの努力と創意工夫を重ねていくと、あとは神様に「うまくいきますように」と祈るしかありません。
「神に祈ったか。神に祈ったか」。意気消沈していた若い社員はその言葉を反すうしながら、「わかりました。もう一度、一からやってみます」とうなずきました。そして、ついに難題を克服していったのです。