実のところは、この部分は前述のように『般若心経』の最大のヤマ場というわけではありません。しかし、「空」の思想が『般若心経』の核をなしていることは確かで、それが、『般若心経』に限らず大乗仏教全般を特徴づける重要な要素であることも間違いありません。
では「色即是空」の「色」とはなんでしょう。ここの「舎利子」から始まり「亦復如是(やくぶにょぜ)」までの段は、言っている内容はとてもシンプルです。
「五蘊(ごうん)」、つまり私たち人間を構成している5つの構成要素はどれも、空性であり、「実体がない状態」そのものだと言うのです。「五蘊」とは「われわれ人間はどのようなものからできていて、どのようなありかたをしているのか」ということを釈迦が分析し、独自の思想から5つの要素に分けて把握したものです。その5つの要素とは、「色」「受」「想」「行」「識」の5種類です。
自信を与える後押し役にもなる
かいつまんで言うと、「色」とはわれわれを構成しているもののうちの外側の要素、つまり肉体のことを指します。残る4つは内面、つまり心の世界に関係する要素です。「受」は外界からの刺激を感じ取る感受の働き、「想」はいろいろな考えをあれやこれやと組み上げたり壊したりする構想の働き、「行」は何かを行おうと考える意思の働き、「識」はあらゆる心的作用のベースとなる、認識の働きです。私たち人間は、五蘊の集合体だ、というのが釈迦の教えなのです。
しかし、『般若心経』ではそれを「実在しない」と言います。五蘊とは実在の要素ではなく、「実体を持たないという状態」に与えられた仮の名称だ、と言うのです。ここには釈迦の時代の仏教を否定する明確な主張が表れています。
『般若心経』は短い経文なので、災難が降りかかっている瞬間でも唱えることができるお守りの役目をしてくれると考えられています。悩んだ末に何かを決断したときには、その決断に自信を与える後押し役にもなります。あるいは決断する前に『般若心経』に思いを掛ければ、普通の世界とは異なるもう一つ高い真理があることを知り、自分の考えが人間のレベルでの相対的なものでしかないことに思い至るのではないでしょうか。この世の真理は、自分が正しいと思っているものも含めてほかにたくさんあることを自覚し、自分の考えに対する過信を防ぐ力にもなります。いろいろなイノベーションを起こしている人が禅や般若心経に惹かれて、そういうものの考え方をすることはよくあることです。