努力すれば、孫さんになれるんじゃないかと思った

【田原】起業は考えなかったんですか。

【溝口】ずっと意識していました。お店が潰れた後、どうすれば閉店せずに済んだのかと考えたんです。それで出た答えが、自分が影響力を持った存在になること。たとえば私が芸能人や一流スポーツ選手なら、お客様はおそらく大勢きたはずです。とはいえ、私がいまからタレントやプロ野球選手になるのは現実的ではない。そのときふっと浮かんだのが、ソフトバンクの孫正義さんでした。当時は無知だったので、自分でも努力すれば孫さんになれるんじゃないかと思ったんですね。それで前の会社を経営しつつ、いつか自分もオーナー経営者になろうと心に誓っていました。

【田原】起業の準備はしていたのですか。

【溝口】ナイキ・ジャパンの元社長だった秋元征紘さんが運営している「ジャイロ経営塾」に通って勉強していました。その塾にはミキモトの社長だった田所邦雄さんもいて、毎回5人くらいの少人数でディスカッションをします。経営の実務はすでに体験していましたが、座学のほうが足りていなかったので、とても勉強になりました。

【田原】起業したのはいつですか。

【溝口】起業したいという願望が「起業するぞ」という決断に変わったのは、東日本大震災がきっかけでした。3月の下旬だったかな。報道を見ていていてもたってもいられなくなり、会社の送迎バスに物資を積んで、7~8人で宮城の閖上(ゆりあげ)までいったんです。当時はまだ散々な状況で、被災者の方から、防波堤のところで多くの人が浮かんでいたという話を聞きました。私は親戚が少なくてお葬式に出たこともなかったので、人の死についてリアルに触れたのはこのときがほぼ初めて。経験を積んでから経営者になろうとか、悠長なことを言っている場合ではないと痛感しました。

【田原】のんびり準備している時間はないと思ったわけね。

【溝口】はい。戻った後に募金活動をしたこともきっかけの1つになりました。当時、柳井正さんや三木谷浩史さんは10億円、孫さんは100億円の寄附をしていました。私もインターネットでサイトを立ち上げて頑張って集めたのですが、額は300万円。現時点での社会的影響力の圧倒的な差を見せつけられた気がして、正直悔しかったんですね。このままでは人生終われない。そう思って、1年後に起業しました。