23歳でスポーツクラブの支配人に抜擢されるも敗戦処理だった
【田原】成長著しい溝口さんは、23歳で支配人になる。これはどういう経緯で?
【溝口】スポーツクラブの経営が悪化していて、支配人だった上司がいなくなったんです。それで急遽、私が抜擢されまして。
【田原】どうして経営が苦しくなったんですか。
【溝口】約5億円の投資をしてつくったスポーツクラブでしたが、立地が悪くて、当初の集客目標の3分の1程度しか集まりませんでした。また、設備にこだわりすぎて、ランニングコストが必要以上にかかっていました。その結果、毎月大赤字に。経営していたのは年商10億円、従業員100人ほどの中小企業でしたから、かなり厳しかったんじゃないでしょうか。
【田原】そこをあなたが立て直した?
【溝口】いえ。私が支配人になった時点ですでに閉鎖が決まっていました。要するに、撤退業務のために抜擢されたようなものです。
【田原】いきなり敗戦処理ですか。具体的にどんなことをするのですか。
【溝口】スポーツクラブ1店に関わっているスタッフは、社員や業務委託の先生たちを含めて約40~50人。みなさんに、辞めていただかざるをえなくなったことを伝えるのが最初の仕事でした。経営者に退職金面で配慮してもらったり、他のスポーツクラブに斡旋するなどして、できるだけのことをしたつもりですが、やはりつらい仕事でしたね。
【田原】会員は何人いたんですか。
【溝口】1500人です。閉店のお知らせをするために店頭に1週間立って直接ご説明したのですが、これもつらかったです。スポーツクラブは地域のコミュニティインフラになっていて、なかにはここで友達に会うのが唯一の楽しみだという年配のお客様もいらっしゃる。そういう場所をなくしてしまうことが心苦しくて。
【田原】でも、経営が悪化したのは溝口さんのせいじゃないでしょう?
【溝口】そこは表から見えないところなので、私が店を潰したと思っているお客様は多かったんじゃないでしょうか。ただ、本当のことを伝えてもお客様の気が晴れるわけではありません。だからひたすら平謝りです。
【田原】閉店した後はどうしたのですか。
【溝口】じつは転職が決まっていました。アジアで働ける外資系の会社です。ところが、もとの会社の経営者から既存事業の立て直しをやってほしいと頼まれて、悩んだ末に引き受けることに。それからスポーツクラブの経営に本格的に携わるようになりました。幸い会社はV字回復して、私たちが運営していたスポーツクラブが業界のロールモデルの1つになった。他のスポーツクラブから業務改善のコンサルティング依頼もいただくようになって、けっこう忙しくしていました。