削りたくても削れない「虚飾の経費」例
たとえば、数百億円のM&Aを手がける会計士が、クライアントの企業の会議室でデューデリ(財務状況や企業の収益性、法務リスクなどの調査)書類を会社の財務担当取締役とやり取りする際に、袖口からちらっと安物のデジタル時計が覗いていたら、どうでしょう。担当取締役は、この会計士は稼いでないのか? 会計事務所での立場は? といらぬ心配をするかもしれません。
たとえば、ドクターが学会に参加した後で、高級料理店で仲間内の情報交換も兼ねて勉強会の続きをやろうということになりました。そうでなくても学会の年会費やら参加費やら宿泊・交通費がかかります。学会もひとつだけ入っているわけではないし、そのうえ高級料理店での情報交換はお金がもったいないと考えたとします。そして、自分は倹約しているからと帰ってしまえば、貴重な情報の大半を得られないことになりませんか?
たとえば、アパレルバイヤーの人が節約のためにいつも同じ服や時計、靴を身につけていれば(ちょっと想像もできないことですが)、業界人としての適性を疑われてしまい、仕事が激減するかもしれません。
たとえば、高額歩合の外交、営業、外回りで年収3000万円も取るような人は、鞄は言うに及ばずボールペン1本に至るまで身の回りのアイテムをバリッとそろえ、遊びも豊富な知識と経験に裏打ちされた話題をお客さんに提供できてこそ、その年収が得られていることでしょう。遊びを削れば、話題も乏しくなり最新のスポットなどのお客さんとの話についていけなくなり、契約を落とす可能性があります。
前回の記事のあとで、直接僕のメールアドレスを探り当てて相談してきた方がいます。銀座のクラブママですが、彼女によれば、合計すると美容、飲食、衣類、ゴルフなど年間1億円ほどの経費がかかってお金が残らないと。これも、虚飾の経費をどう落としていくかということを考えるべきであって、虚飾をなくせば仕事もなくなるという関係にあります。それらは業務上必要なお付き合いなのですから。
これらの消費は「職業上の生命、および名声、信用」と、消費が密接不可分の関係にあって片方をなくせば片方を失うという関係にあるのが特徴です。
衣食住のみならず、遊び、虚飾に至るまで、その人の消費こそがその人を成り立たせている以上、消費と収入は切り離せません。
つまり、年収が上がるというのは単に収入が増加したというだけではなく、その社会的な帰属集団や自分のアイデンティティが変わってしまうから「単純な倹約」では物事は解決しにくいのです。
以上が、年収1200万~年収3000万円の家庭が「高収入貧乏の谷」にひきずりこまれる主な要因です。
逆に、堅実なAタイプの筆頭格である、公務員の人などは自分を成立させている集団の中には消費(必要コスト)がほぼ介在しません。どんな時計をつけていようと、どんな靴を履いていようと、警察、消防、市役所の仕事にはほとんど何の関係もありません。
そのため、その気になればどこまでも倹約は可能です。