第2に、オリンピックの歴史と日本人の活躍を勉強しておくこと。かつて2度、夏の五輪を開催した都市は、アテネ、パリ、ロサンゼルス、ロンドン。今度の東京で5都市になる。このうち、32年のロサンゼルス大会。若い皆さんは「バロン西」という名前さえ聞いたことはないだろう。この大会の馬術で、愛馬ウラヌスを駆って日本に金メダルをもたらしてくれた西竹一さんである。バロンとは男爵のことで、スマートで美男子の彼は、欧米の観客をも魅了した。

もちろん私もまだ物心ついた頃の出来事で、後に人の話や映画などで知ったことだ。惜しくも西さんは、太平洋戦争中に硫黄島で戦死してしまう。だが、そういう日本人がいたことを心の片隅に置いて五輪に臨めば、観戦に深みが出て、味わいは倍加するはずだ。

第3が、選手への応援は国境を越えてすること。これができると、スタジアムの雰囲気まで変わってしまうことがあるから不思議だ。

68年のメキシコ大会における陸上競技での出来事だった。いまでは考えられないことだが、当時はスタンドの観客がグラウンドに下りることができたのである。私もスタンドで男子5000メートルを観戦していた。5000メートルの場合、トラックを12周半走る。だから、力の差で周回遅れの選手も出てしまう。

私の目の前に遅れ気味の選手が来た。日本人選手だと思い、グラウンドに飛び出して、日の丸を振って「ガンバレ!」と応援した。ところが、それはメキシコのランナーだったのである。私の声に勇気づけられたのか、彼はグングンとペースを上げ、ごぼう抜きをして集団に追いつく。

ハプニングはそのあとに起きた。今度は日本人選手が遅れそうになると、メキシコ応援団が「ハポン(日本)、ハポン」と大声援を送ってくれた。13万人の観客が総立ちのハプニングである。まさに“民族の祭典”であり、世界平和を象徴するオリンピックならではの光景だった。

そして、その感動はいまも心に鮮やかだ。そんな4年に1度の大会が、7年すれば日本で開かれる。これを楽しまない手はない。

国際オリンピック応援団長 山田直稔
1926年生まれ。「オリンピックおじさん」として知られる。64年の東京オリンピック以来、すべての夏季オリンピックを現地で応援している。
 
(岡村繁雄=構成)
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