丁寧な複雑さよりも無礼な単純さ
日本人とユダヤ人の発想の違いはほかにもある。石角さんが注目するのは、グローバルかローカルかという違いだ。
「国土を追われたユダヤ人は、イスラエルが建国されるまで、100カ国以上に散らばって生活せざるをえませんでした。そうした環境があたりまえだったので、最初から発想がグローバルです。それに対して日本は島国で、国内に安定的な市場がある。ローカルで通用すれば食べていけるので、発想もローカルになります」
グローバル発想とローカル発想は、具体的にどのように異なるのか。
「たとえば日本では、セルフ給油の前にガソリンの種類や支払い方法などを画面で選択します。複雑な手順でサービスを提供するのは、日本の教育程度がよく、誰でも画面に書かれたことを理解できるからです。一方、アメリカの場合はノズルを差しこんだだけで給油できます。グローバルになりたければ、シンプルにせざるをえない」
ここで思い浮かぶのは、ガラケーとスマホだ。日本の携帯電話は親切・丁寧に作られているように見えて、実は複雑で、日本以外に普及しなかったが、スマホはシンプルで体感的な操作が評価されて世界的な支持を得た。スマホをつくったのはユダヤ人ではないが、誰でも使えるというグローバルな発想で開発されたことは間違いない。
ユダヤ人は、アイデアの磨き方も独特だ。元ユダヤ人妻の星野さんは、「ユダヤ人は、とにかく議論好き」という。
「みんな輪になって話すことが好きで、私が何も発言しないでいると、『あなたは頭の中に何もないんじゃないか』とまで言われます。ユダヤ人にとって、自分の考えを表明しない人は、そこに存在しないのも同然。最初は私に気を使って英語で話してくれますが、発言しないとわかると、みんなあっさりヘブライ語に切り替えますからね(笑)」
議論においては、相手が誰であろうと遠慮しないことがユダヤ流だ。石角さんによると、「イスラエル軍の兵士は、上官が間違っていると思えば率直に自分の考えを述べて議論する」という。軍隊でもこの調子なので、ビジネスの現場はそれ以上だ。