野良仕事以外の時間は、家族やそれぞれで自由に過ごす。
「夏は陽が高くなったら水着に着替えて車で20分ほどの海へ行き、シャワー代わりにドボン。
浜辺でランチをとり、ペットボトルに入れて持参した水で砂と塩を流して帰ってきます。『里山』も『里海』も楽しめるのが南房総のいいところですね」
ヒグラシの声があるとき秋の虫の声に変わり、山が紅葉で色づいたと思ったら、朝の寒さが身にしみるようになる。春夏秋冬を色濃く感じながら過ごす1年は、「東京でいくらお金を積んでも味わえない贅沢」だと馬場さんは言う。
「秋には近隣の集落のお祭りが続き、夕方になると聞こえてくる祭り囃子の音をBGMにウトウトするのは最高ですね」
手伝いに派遣される中学生の長男が地域の人から重宝されて、「こっちに住まなきゃなんねぇな」と言われるほど、馬場さん一家は地域に溶け込んでいる。
「よく『地域との軋轢はありませんか』と聞かれますが、南房総はほんとうに人が穏やか。集落の行事も『週末だけじゃあ全部はやれねぇな』と理解してもらっています。その点は『移住』より甘いかもしれません」と話す馬場さんだが、その関係に甘え切らずに、できるだけ地域と交わることを心がけてきた。
「住まい探しから、現地での生活基盤を整えるまで何年もかかります。特に『移住』の場合は、より地域との関係づくりが大切です。定年後に動き始めたら、その頃には70歳前後。体力のことを考えると、新しい生活に慣れて楽しめるまでの時間をみて動き始めるのがベターだと思います」
とはいえ、都会で働く現役世代にとって、仕事を辞めて「里山暮らし」を始めるのはなかなか勇気がいることである。だが、「奥さんと子供だけ移住して、旦那さんは東京に小さなアパートを借りて『単身赴任』。週末だけ往復しているご家族もいます」というから、「2地域居住」は決して現実離れした選択肢ではない。都内でマンションを購入・維持することを考えれば、お釣りがくるライフスタイルではないだろうか。
「夫も私も東京生まれの東京育ち。ずっと『田舎のおばあちゃんち』に憧れていました。今のところ、おばあちゃんのいない『田舎のおばあちゃんち』なので、子供たちには早く孫を連れて遊びにきてもらいたいんです」と笑う馬場さん。そこからまた、馬場さんの新しい「里山暮らし」の楽しみが始まるのだ。
1973年生まれ。2007年から2地域居住を始める。建築ライターを続けながらNPO法人南房総リパブリック理事長として「里山学校」などを運営。著書に『週末は田舎暮らし』(ダイヤモンド社)。