「ひらかれた」自分
そもそも、なぜ名前を変えようと思ったのか。両親のことが嫌いだとか、生い立ちを恨んでいたとか、そういうことはまったくありません。ただ、名前があまりに常識的でまともだった。それは本来、感謝するべきことなのでしょう。それでも、それが「与えられた」ものだということに、釈然としないものがあったのだと思います。
もちろん、僕たちはそもそも、すべて与えられて生まれてきます。命も、肉体も、時代も、何もかも。一人の人間の始まりは、極めて受動的です。そして尊い。だからせめて、自分を社会的に象徴する「名前」くらいは、自分の変化や成長に合わせて、納得いくように考えてみたかった。そして、自分を「ひらかれた」存在にしたかった。
具体的に改名を決意したのは、学生時代に起業した会社を辞めた頃です。それまでの僕は、会社の成長に伴って急激に社会化されていく組織に馴染めずに、そんな自分をかなり卑屈に感じていました。誰が言うわけでもなくとも、「全体」という不思議な空気の中でぼんやりと形成される、常識や暗黙のルール。そこから生じる違和感や自分との「ズレ」と向き合い続けるのは、なんとも痛く、孤独なものでした。自己愛と自己憎悪は紙一重です。それでも、どうしても妥協できない。自分自身に素直でいたかった。そして、自分自身を閉ざしたくなかった(当時の葛藤については、連載第5回 http://president.jp/articles/-/12794 で詳しく書いています)。
その後、大学院で組織心理学やキャリア開発の研究をするようになり、「いつか、個人がもっと『多様であっていい』という時代が来たら、自分がそのひらかれた入口を象徴するような、偏屈で自由な存在にならねば」などと言い聞かせ、長期ビジョンならぬ「長期妄想」をいつもめぐらせて、研究や活動に励んできました。
僕たちが持つ「名前」には様々な意味や機能がありますが、社会的動物として暮らし、働いていく上での重要なアイコンの一つでもあります。逆に言えば、たかがアイコンに過ぎない。自分を縛ることもできるし、自分を解放するきっかけにもなる。不完全で愚かな自分と向き合い、受け容れて、自分を「ひらかれた」存在にしていくことは、世界とつながり、多様な自分の可能性を社会に向けて発揮していくための冒険です。
「自分自身を生きる」ということほど、単純で難しいことはないと思います。それでも、社会や環境にいつまでも自分を埋没させていては、変化が激しく明確な答えなどないこれからの時代を生き抜いてはいけません。なにより、自分自身を閉ざしてしまい、自分も他人も、何事も素直に受け容れられなくなってしまう。「ひらかれた」自分を愛し、そこからつながる世界を愛す、僕なりのナルシスティックな人生の冒険。それが、僕が「雄純」という名前に戸籍上から改名した理由です。
でもやっぱり、ちょっと大げさです。