ロンドンは丸1年しかいなかったが、赴任した86年は、サッチャー政権が始めた「金融ビッグバン」の真っ盛り。株式の売買手数料が自由化され、取引所の会員権も開放された。銀行にも証券参入が認められ、米国勢が次々に押し寄せ、英国の商業銀行は次々に消えた。金融街の勢力図が塗り替わるのを目の当たりにして、「日本でも、遠からず似たことが起きる」と確信する。何が起きても、当たり前のことを当たり前にやるだけだ、とも確認もした。これが、いちよし証券の経営を担ったときに、路線を決める基礎となる。

「道在爾、而求諸遠」(道は爾きに在り、而るに諸れを遠きに求む)――人の道は、日常的な世界にあるのに、わざわざ高遠なところに求めようとしがちだとの意味で、中国の古典『孟子』にある言葉だ。親を大切にし、年長者を敬うなど、ごく当然のことをするのが道だと説き、「当たり前のことを当たり前にやる」という武樋流は、この教えに重なる。

1943年4月、新潟県長岡市に生まれる。父は病院の職員、母は小学校の先生で、妹が2人。冬は雪が深い地で、小学生のときから、自宅近くの信濃川の土手などで、スキーを楽しんだ。県立長岡高校から東北大学法学部へ進むと、当たり前のように、体育会のスキー部に入る。1年中、大学から近い青葉城跡の坂道を駆け上り、駆け降りて鍛え、距離スキーの選手となる。