かわりに米倉の前に拓けたのは女優として芸能界に入るという新しい道だった。99年に「女優宣言」をして24歳からドラマデビューし、たちまち4クール連続出演。だが、恵まれたデビューから1、2年は米倉にとって葛藤の日々だった。


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「夜中の2時からCM撮りで、早朝からドラマの現場。アイドルみたいな生活でしたね」

休みの日になると1日中カーテンを閉めて部屋にこもり、ドラマやビデオを見るのが幸せだった。体重も2、3キロはすぐに上下した。仕事の辛さは、ただやりとおせば終わる。でも人間関係や、メンタルな面はどうにもならない。そのころの口癖は「強くタフになりたい」。意識的に強い自分を押し出すようになる。

「結構、潔くない部分がある。悲観的な時期もあったのですが、何の得にもならないと学んだんです。楽観的なほうが周りにいい影響を与える。確実にいい人生をおくれると、チェンジしたんです」

「周りの人」を気遣うからこそ、「楽観的な自分を見せる」のが米倉流の処世術。

「黒革」と出合い、30を過ぎたあたりから「やっといい感じになった」。そして役者としての欲も出てきた。

「清張作品の悪女はかわいそうな人。上がっていくためには悪女にならざるをえなかった女性たちです。この仕事の醍醐味は、悪女役も、『交渉人』での刑事役も、『ハルとナツ 届かなかった手紙』でのブラジル移民役も、役づくりをとおして全く違う境遇、違う時代、違う世界に生きていた人たちの気持ちに、本当に近づくことができるところです」

苦手な役もある。ラブシーンだという。

「貞淑な人妻役の『不信のとき』には脂汗を流しながらやりました(笑)。強い役のほうが楽です。弱い女としての部分を見せる役は心臓がむき出しになるようで」

女優という仕事につく人は、外見は女そのものでも、内面は男っぽく、きっぱりしている人が多いと思うのだが、米倉は正反対なのかもしれない。

「それは私自身にもわからない。本当に私を知っている人にしかわからないんでしょうね」

(大沢尚芳=撮影 NOBU=ヘアー&メイクアップ、河内里美=スタイリスト (ジャケット、タンクトップ、パンツ、ベルト、サンダルはすべてDOLCE&GABBANA JAPAN))