98年からは市場が急拡大し、ライバル企業も躍進。ネットバブル崩壊後も売り上げは伸び続け、サイバーエージェント、オプト、セプテーニと合わせて、ネット広告四天王と呼ばれる絶頂期を迎えた。06年には売り上げ103億円を記録。だが、同じ年の1月に起きたライブドア事件以降、風向きが変わり始めた。

「盟友でもあった堀江貴文くんの逮捕でネットベンチャーの株価は急落しました。株価が落ちると信用収縮が起こり、守りの経営に入らざるをえなくなる。そのとき真っ先に切られるのが広告経費です。グレーゾーン金利について最高裁で過払い金返還の判決が出たことも大きかった。判決に納得できなかったのか、私たちの主要顧客だった外資系消費者金融が日本から撤退してしまいました。

仕事上のライバルと自由競争して売り上げが落ちたならまだ納得できます。しかし、私としてはベンチャーつぶしのために理不尽なルール変更が行われたという思いがいまでも強い。

06年3月に月商10億円あった売り上げは、年末には半分の5億円になりました。これ以上続けても社員に迷惑をかけることになると判断して、ビットバレーの仲間だったGMOインターネットの熊谷正寿さんに会社を売却することにしました。よくエグジット(会社を売却しキャッシュを得ること)できてよかったねと言われますが、とんでもない。年商100億円の会社でしたが、手元に残ったのは1億円ちょっと」

シンガポールへ移住したのは、08年6月。現在はアジアで活躍する日本のベンチャー企業8社の経営に参画している。

「取引先だったグーグルのカンファレンスに毎年参加していたのですが、06年になってアジアのパートナー企業が急激に増えた。そこで話題にのぼっていたのは中国の検索エンジン大手バイドゥのロビン・リー社長や、アリババのジャック・マー社長です。2人は海外で成功して中国に帰るウミガメ族のシンボル的存在。彼らの活躍を耳にして、ビジネスをやるなら国内より、外で成功して日本に貢献するやり方のほうがいいし、自分も若い日本のウミガメを支援したいと考えるようになりました。

シンガポールを選んだのは、外国人にやさしく、英語がヘタでも何とか聞き取ろうと努力してくれるところが気に入ったからです。それにいま、この国はロールモデルになろうとしている。理想郷をつくろうとする尊い精神があります。

最初は大手の海外進出コンサルティングをしていましたが、エスタブリッシュの手伝いは正直、あまりおもしろくない。広告業というのはお客の夢を実現するために一緒に絵を描いていく商売でした。海外進出を手伝うとしても、同じように中小の経営者と二人三脚でやるほうが楽しい。お金を出すだけではつまらないので、経営にもボードメンバーとして参加させてもらっています。

もう1つ、資本の参画先を選ぶときに決めている条件があります。それは自分より若い起業家に投資すること。若い世代に投資して、新しい産業をアジア規模、世界規模でつくっていく。それが、いまの自分の使命だと思っています」

(文中敬称略)

クロスコープ シンガポール ディレクター 加藤順彦
1967年生まれ。関西学院大学卒。大学在学中の89年、学生起業家の1人としてダイヤルキューネットワークの設立に参画。92年、雑誌広告専門の広告代理店である有限会社日広を創業。96年以降、媒体をネットメディアに切り替え、最盛期には月商10億、年商103億を記録する。2008年、会社を売却。現在シンガポールで、日本のベンチャー8社の経営に参画する。
(村上 敬=構成 葛西亜理沙=撮影)
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