外国語で自分の意見を主張するにはどうすればいいか。タレントのハリー杉山氏は「北京留学時代のタクシー運転手との会話が最も勉強になった」という。イーオンの三宅義和社長が、そのわけを聞いた――。(第2回/全3回)
タレントのハリー杉山氏
撮影=原貴彦
タレントのハリー杉山氏

「文字を打ち込む父の背中とウイスキーの香り」から伝える仕事へ

【三宅義和(イーオン社長)】ハリーさんは現在モデル、俳優、パーソナリティなど、多方面で活躍していらっしゃいますが、子供のころから芸能界に憧れがあったのですか?

【ハリー杉山(タレント)】僕の活動の根本にあるのは「何かを伝えたい」という思いです。

僕の父(ヘンリー・スコット・ストークス。元『ニューヨークタイムズ』東京支局長)は、ジャーナリストとして1964年に日本に来ました。子供のころの記憶を辿ると、タイプライターに向かってひたすら文字を打ち込む父の後ろ姿をよく覚えています。夜の12時くらいになっても書斎からガチャガチャと音が聞こえてきて、かすかにウイスキーの香りがする。「ああ、おやじ、今日もめちゃくちゃ頑張っているな」と。そういう記憶です。

【三宅】絵になりますね。

【ハリー】あと当時は『ニューヨークタイムズ』のFAX版があって、毎日夕方になると自宅のFAXに英語の記事がブワーっと届くんです。そういう環境で育ったので、「ジャーナリストって大変そうだけどかっこいいな」という感情は自然と芽生えました。

そこから父が書いた三島由紀夫の伝記を読んでみたり、彼が韓国の光州事件で体験した出来事の話を聞いたり、父親の紹介でいろんな方と直接会ったりしながら、「伝える」という仕事に就きたいと思うようになったのです。