「ソ連に口出しされる前に草案を作れ」

しかし、あまりに非民主的な憲法草案に、とうとう堪忍袋の緒が切れてしまった。マッカーサーは「象徴天皇、戦争放棄、封建制廃止」の三原則を示して、民政局にリンカーンの誕生日である1946年2月12日までに憲法草案を作るよう命じた。このときが2月3日、たった9日しかなかった。

彼が憲法作りを急いだのには理由がある。ソ連がマッカーサーの占領政策に口出ししてきたからだ。GHQは連合国による占領司令部だが、実際はアメリカ軍だけによる司令部であった。ソ連はそのことに不満があり、米英ソの外相たちによる極東委員会が設置され、GHQの上部団体となっていた。マッカーサーは極東委員会から指摘される前に、新しい憲法を作ってしまい、占領政策を確実なものにしたかった。

新憲法作成期間はたった9日、GHQ内部で、法律に詳しいものや弁護士などが集められてプロジェクトチームは作られたが、皆、憲法作りの専門家ではなかった。法律は知っていても憲法については素人ばかり。その素人たちがたった9日で作ったのが日本国憲法だった。