古代より朝鮮半島や大陸との交渉があった島々。日本の内と外との歴史に思いを馳せるとき、土地に埋もれた国境性が立ち現れる。
私は、昨年、満州と沖縄を舞台にした2冊の作品を発表した。
2つの作品には、私がライフワークとしてきた日本の高度経済成長とは何だったのか、というテーマが通奏低音のように流れている。
世界史的にも類を見ない日本の高度経済成長とは、失われた満州を国内に取り戻すための壮大な実験ではなかったか。戦後高度経済成長のシンボルである夢の超特急も、合理的な集合住宅も、アジア初の水洗トイレも、すべて満州で実験済みだった。
日本は敗戦からわずか10年足らずで高度経済成長の足がかりをつかんだ。それは、わが国がいち早くアメリカの核の傘の下に入って、軍事防衛問題をアメリカという世界の警察国家にまかせっぱなしにし、経済分野に一意専心できたからにほかならない。
その反対給付の人身御供としてアメリカに差し出されたのが、沖縄だった。沖縄は世界第二位の経済大国になる道を駆けのぼった本土の繁栄をよそに、東シナ海に浮かぶ日本最貧の島としての運命をたどることになった。
日本の戦後世界を透視するため、満州という「時間軸」と、沖縄という「空間軸」を立てる。そして、その2つがクロスして結ばれた像こそ、われわれがいま暮らす日本列島の掛け値なしの姿ではないか。