あの頃は“ブラック企業”も“ノマド”もなかった

――『ほぼ日刊イトイ新聞の本』を読むと、ほぼ日創刊当時は、スマホもフェイスブックもツイッターもなかったのだなと隔世の感がある。働き方まわりでいえば、“ブラック企業”や“ノマド”といった言葉もなかった。少なくとも現在使われているような意味で使う人はいなかった。「働き方」そのものへの関心もこれほど高くはなく、似たり寄ったりの働き方をしている人たちがバブルとその崩壊を経て「勝ち組」と「負け組」に分類され始めた、さあどうしようという時代だった。逆に今、「勝ち組」「負け組」といった言葉は一時ほど聞かれなくなった。それだけ勝ち負けの基準が曖昧になってきているのかもしれない。
久々に会った糸井さんにそんな問題意識をぶつけてみた。『ほぼ日刊イトイ新聞の本』に書かれている「ほぼ日」の職場は、今の基準でいえばかなりブラックである。24時間寝ないで働くことも珍しくない一方で、資金繰りはおぼつかず、古参の社員はこんなはずではなかったと辞めていった。創業時のベンチャーにはよくある話だ。今のほぼ日はどうなのか。
糸井重里さん
1998年6月6日に「ほぼ日刊イトイ新聞」を創刊。現在月間訪問者数は110万人を超える。「ほぼ」といいつつ毎日更新。「ほぼ日」を運営する東京糸井重里事務所は、2012年、独自の考え方や仕組みをもって運営し、成功している事業に送られる「ポーター賞」受賞。

仕事が面白くて徹夜するのが当たり前みたいな働き方って、デザイン事務所なんかでは普通というか、僕の仕事の仕方がそうだったから、それを当てはめたのがほぼ日の初期の頃だったんですね。でもそういうやり方はやめていったんですよ。ほぼ日は“解散しないプロジェクト”という形で長丁場でやっていく仕事だから、無理をかけたらダメになると思いました。だから大慌てで直していきましたね。残念ですか?

――いえ、残念ではないですが。質問の意図は、なんでもかんでもブラック企業というレッテルを貼りすぎではないのかということだった。改めてそう聞いてみる。

昨日このイベントをやっているチームがここを出たのは夜の11:30ですよ。言う人によればそれはブラックということになるんでしょう。でもこのチームじゃない人たちはその時間、もう横になっていたかもしれない。混ざっているんですよ。そうやってやらないとできないことってあるわけですから。同じ会社のなかにどっちもあると思っています。どっちかのはずがない。うちも残業時間とか数字は出していますけど、それを見たらふつうの会社ですよ。

――ある業界では当たり前のことが別の業界ではブラックの範疇に入ったりすることはよくあるだろうし、同じ会社でも部署が異なれば勤務時間も業務内容も変わってくる。同じ部署であっても繁忙期とそうでないときがある。1つの企業に混在している。ブラックな部分とそうでない部分が混在していて、どこに光をあてるかということで、だいぶ見え方は異なってくる。そう簡単に線引きできるものではないということだろう。もうひとつ気になっている言葉、「ノマド」についても聞いてみた。

今いわれているノマドって、「お父さんは今までどおりにしっかりしている」っていうある種の安定感があった時代の名残ですよね。大企業はまだ大丈夫という前提があるから成り立つ話だと思うんですよ。ノマドな働き方しています、っていう人に「どんなことしてるの?」って聞いたら、企業からコンサルの仕事や調査を頼まれているとか、発注されて原稿を書いているとかね。ちゃんと稼げている会社が外の人を使っているわけだから、たとえばパナソニックが本当にうちは危ないなと思ったら、外に仕事を出さなくなるよね。まあ、お父さんって案外あぶなくなってもしっかりしているつもりでいたりするから、ノマドを養う的な立ち位置ってずうっと続いていくのかもしれませんが。