幕府が米価操作するようになったワケ
幕府の直轄領は多いときで450万石ほどに達した。日本の総石高が3000万石程度だったから、全体の15%ほどになる。だが、「石」とは年貢米を計る単位で(1石は100升、1000合)、幕府も諸藩も、これを市場で現金化する必要があった。だが、米価が低ければ歳入が減少してしまう。
それでは困るので、幕府は米価を操作するようになった。幕府がコメを買い上げることで、米価を上げようとしたのだ。しかし、先立つものがないので、富裕な町人や豪農、主として大坂の豪商に「御用金」を科した。御用金とはいまでいうところの国債で、利息がついて返済されるのが建前だったが、現実には、強制的に割り当てられ、踏み倒されることも多かった。
幕府が米価を上昇させる目的で、御用金をはじめて徴収したのは、寛延3年(1750)に生まれた蔦重が数え12歳になった宝暦11年(1761)。10代将軍家治が就任して2年目のことだった。このころはコメの豊作が続いていたのである。
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