その6年前、安倍が森喜朗内閣の官房副長官だった2000年8月、速水優総裁の日銀は、実施中のゼロ金利政策を一時、解除した。安倍はこのときも「それはおかしい」と異を唱えたという。
第1次内閣の経済政策の柱は小泉内閣から引き継いだ「骨太の方針2006」だった。プラン策定を主導したのは小泉政権で自民党政調会長だった中川だ。
「いま第2次内閣でやろうとしている政策は06年から計画として持っていた。小泉政権時代、党改革実行本部長だった安倍さんを会長にして、自民党に『シンクタンク2005・日本』をつくった。名目成長率4%でいけるというシミュレーションをしたのは安倍さんです」
高橋は第1次内閣発足のとき、安倍から声がかかり、首相官邸入りした。
「安倍さんにいつも経済の説明をした。資料を見せ、とくに名目GDP成長率と失業率の2つの重要な経済指標を挙げて解説した。安倍さんは第1次内閣時代、経済にはそれほどの関心はなかったと思う。ただ、『半径1メートルの世界の話は担当大臣でいいよ』と言う。もともと国全体の大きな話が好きな人です。財政の全体や金融政策には関心がある」
第1次内閣で経産副大臣だった山本は当時の安倍の印象を口にした。
「その時代は、経済の問題はよくわかっていなかったと思う。ほかの問題に懸命だった。首相を辞めた後、時間ができ、次に何をすればいいか考えていて、経済にゆきつき、それでいくと決めたのでは」