微妙なのは、「だめだ、貸さない」と息子に言っていたにもかかわらず、勝手に乗り出されて事故を起こされた場合だ。
鍵の管理や日頃の息子に対する態度など、さまざまな要素から保有者の責任が判断される。玄関に車のキーが無造作に置かれているような緩い管理の場合と厳重に金庫に保管しておいたのに、息子がこじ開けて持ち出した場合では、やはり管理の程度が違ってくる。
あるいは、いつも口では「勝手に乗るなよ」と言いながら、息子が勝手に乗り出しても特に注意もしないことが常態化していた場合、息子の乗り出しを日頃から黙認していたと判断されかねない。
本当に息子に貸さない方針なら、鍵の保管もきっちりしておかないと、息子に運転を禁じていた証拠にならない。このように、文字どおりケースバイケースで保有者の賠償責任の有無が決まる。
最初は明らかに息子に貸したケースでも、いつのまにか盗難同然になることもある。1泊の合宿に貸してほしいと言われて、これまでも問題なかったので、父親がきちんと指導したうえで貸したとする。ところが、息子は理由もなく合宿先から失踪し、半年後、どこかで事故を起こすといったケースだ。途中から父親の運行支配が及ばなくなる可能性があるのだ。
当然、普段の行動や家出歴、非行歴などを総合的に考えて判断することになるが、こうした兆候がなかったとすれば、失踪後しばらく経過した後の息子の運転については運行支配が及ばないと判断される可能性が高い。
車の貸し借りでは、「貸したら自分が責任を負う」という前提で行動するのが基本だ。車を貸す以上、又貸しの可能性まで含めて借り手に監督・指示する必要があるし、事故の賠償責任も背負い込むつもりで貸すことになる。
「それじゃあ怖くて他人はおろか、家族にも貸せないよ」と思うかもしれないが、そのとおりで、車の保有者とはそういう管理責任を負っているのだ。
車を貸すという行為は、一見、人助けのいいことのようだし、借りるほうも気楽に考えていることが多いが、実は貸し手には大変なリスクがついて回ることを覚悟しなければならない。