どうなる社名? 「三井住友あいおいニッセイ同和」となるか
三井住友海上火災保険とあいおいニッセイ同和損害保険が2027年4月をメドに合併すべく調整しはじめたとの報道があった。ただでさえ長い名前がますます長くなりそう。最悪の場合、「三井住友あいおいニッセイ同和損害保険」という社名になるんじゃないか、ではなぜこんなに長い名前になったかといえば、合併、合併、また合併という損害保険業界の歴史があったからだ。
第2次世界大戦中、日本政府は金融機関を強くするため、合併を奨励した。その結果、1940年に48社もあった損害保険会社は、1945年に3分の1の16社まで集約された。戦後、数社が設立され、おおよそ50年にわたって21社体制が続いたのだが、1999年に突如、合併の嵐が吹き荒れる。その原因は2つだ。
損害保険21社が1999年から再合併を始めたワケ
1つは算定会料率の廃止である。戦前の損害保険業界ではダンピングで契約を取っては倒産する会社が後を絶たず、ダンピングを防止すべく算定会料率というものをつくった。損害保険各社が契約した内容や事故発生、保険金支払などの実績を業界統一団体(自動車保険料率算定会、および損害保険料率算定会)に報告し、その団体が保険料率(算定会料率)を決めていた。つまり、国内の損害保険会社は同一商品を同一価格(一物一価)で販売していたのだ。
ところが、1989年の日米首脳会談で、対日貿易赤字の解消を目的として「日米構造協議」が発議され、その1つとして損害保険の算定会料率廃止が提案された。通販型保険会社のリスク細分化型保険は、走行距離や地域によって保険料が異なる。これは算定会料率の遵守義務がある日本では販売できなかった。そこで、米国の通販型保険会社は米国政府に働きかけ、1998年に算定会料率を撤廃させることに成功した。算定会料率の撤廃で、損害保険各社は自由な商品設計が可能になった反面、システム投資が増大し、合併による体力増強が必要になった。