公園ができた理由① 反面教師・汐留

幼少期から大阪市内で育ち、生粋の大阪っ子であるという篠﨑さんはもともと大学を卒業後に竹中工務店開発計画本部で4年間勤務。その後フリーを経て、1979年に街づくりにかんするシンクタンク・都市生活研究所を立ち上げている。関西経済同友会には1987年から加入しており、大阪の都市活性化に長らく取り組んできた。

篠﨑さんによると、関西経済同友会がうめきた開発に向けて動き出したのは2001年だ。この年は小泉内閣が経済対策として都市再生を掲げていた。チャンスと考えた。

篠﨑さんは当時を振り返り、「大阪の再活性化に向けて、駅前一等地に24ヘクタールもの未利用地がある点が大きな課題でした」と話す。後に「うめきた」と呼ばれるわけだが、ここは「梅田北ヤード」と呼ばれる旧国鉄の貨物駅だった。