すると後日、あるお客さんが「この前読んだ本、すごくよかったよ」と感想をくれた。その言葉を聞いた時、フッと風が吹き、目の前を分厚く覆っていた霧が晴れた気がした。
「夫に裏切られたことによって自信をなくしていたし、人を信じることができなくなっていました。でも、私が読んだ本の感想を言うだけでお客さんがその本を買ってくださったり、『あの本、良かったよ』と言ってくれはることで、こんな自分でも人の役に立ててるのかなって思えたんです。今、臨床心理士として仕事をしている娘からは、『パニック障害から鬱病になるケースが多いけど、本屋という環境とお客さんとのコミュニケーションがお母さんを少しずつ立ち直らせたんだね』と言われました」
恩師からの手紙
この頃はまだ夫との関係がこじれたままで、気分がふさぎ込む日も少なくなかった。しかし、恩師の言葉が二村さんを奮い立たせる。
ある日、自宅の郵便受けを開けると、一通の手紙が入っていた。差出人を確かめると、「井村雅代」と書かれていた。シンクロを辞めてからも井村コーチとはなにかとやり取りが続いていたが、手紙をもらうのは初めて。二村さんは緊張しながら、封を切った。白い便せんには、井村コーチの佇まいを思わせる凛とした字で、励ましの言葉が記されていた。
胸いっぱいになり、すぐにお礼の電話をかけると、井村コーチはこういった。
「私も浜寺水練学校辞めて独立するとき、ものすごいバッシングを受けたし、これまでもいろんなバッシング受けたけど、自分のことをわかってくれる人が誰かひとりでもいたら、私はそれでいいと思うねん。私はトモちゃんのことを応援してるし、負けたらあかん」
シンクロをしていた時は、「あんたの限界はな、あんたが決めるもんちゃうねん」と檄を飛ばし、日本代表に導いてくれた。引退してから15年以上も経ち、人生に追い詰められた時、再び現れて「負けたらあかん」と寄り添ってくれた。何物にも代えがたい恩師の言葉は、その後も二村さんの支えになる。
アマゾン上陸、利便性に対抗する「対面の選書」
隆祥館書店では、二村さんに本を勧めてほしいというお客さんが少しずつ増えていた。それが「楽しくて、楽しくて」、もっともっとお客さんに本を勧めたいと思うようになり、寸暇を惜しんで本を読むようになった。
意外にも、父の善明さんはこの取り組みに批判的だった。
「お客さんの方が、その分野に精通している人がいる。そんな人に本をお勧めするなんて、無知ほど怖いものはない」
二村さんも「それはそうかもしれないけど……」と感じつつ、もはや生きがいとなっていた活動を手放そうとは思わなかった。そのため、ふたりは何度もケンカしたが、善明さんも売り上げへの貢献を認めていたのだろう。2000年、二村さんは店長に就任する。
奇しくも同じ年、アマゾンが日本でサービスを開始した。当時、隆祥館書店の来客数は1日平均300人、ひと月の売り上げは、外売と合わせて約1000万円。アマゾンの登場は全国の書店に影響を及ぼしたが、二村さんの「対面での選書」は、アマゾンの利便性に対抗する手段になった。