いい仕事が見つかり、生活も安定したが…
27歳で刑期満了を迎えたが、その直前に母親が亡くなっている。
「叔母さんが手紙で知らせてくれたんだけど、そしたら、雑居から独居に3日間だけ移らせてもらってさ、俺、その間、夜はずっと泣き続けてたよ」
出所後は、その足で知り合いのもとを訪ねた。知り合いといっても、少年刑務所の工場で一緒になった先輩受刑者だ。顔が広い人らしく、就職先を探してもらおうと思ったのである。
仕事は、存外に早く見つかる。東京都内の金属加工工場での旋盤工だった。刑務所内で3年間、刑務作業として従事した仕事でもある。工場の経営者は、さばさばとした性格の人のようであり、彼の前科など、まったく気にしていない様子だった。
仕事の内容も職場環境も、申し分ない。仕事に慣れて、安定した生活を送れるようになったら、兄に連絡を取ろうと考えていた。
働きだして9カ月目、職場で事件が起きる。部品の仕入れのために用意していた現金200万円が紛失したのである。それが発覚した直後からだった。疑いの目が、彼に向けられるようになる。明らかに、すべての従業員から避けられていた。誰も口を利いてくれない。前科があることを知っているのは社長だけだったはずだが、どういうわけか。
前科者は「人から信じてもらえねえんだ」
警察の捜査が始まると、彼一人が別室に呼ばれたりもした。それは、事情聴取などというものではない。はじめから、尋問口調の取り調べだった。
「前科者は、いっつもそうだよな。人から信じてもらえねえんだ。でも、結局、俺は悪くなかった」
1週間もせずに、真相が判明した。事務職社員の勘違いで、すでに現金は別の部品購入に充てられていたのだった。そこで、あっさりと騒動は終了する。しかし、それ以降も、従業員たちの態度は変わらない。腫れ物に触るような接し方だった。日ごと、職場に居づらくなっていく。
そんな折、暑気払いを兼ねた懇親会が開かれることになる。彼は、一旦は参加を断った。だが、社長からの強い誘いもあり、少し遅れたものの、会場となる料理屋を訪れる。店内に入った時だった。奥の広間から、みんなの声が聞こえてくる。
「あいつら、みんなで俺のこと馬鹿にしてたんだ。『刑務所上がりは暗い』とか、『まわりが気を遣う』とか。まあ要するに、社長が全部ばらしてたんだな。その社長なんだけど、笑いながら、こんなこと言ってやがった。『平沼君の前で、網走番外地でも唄ってやろうか』だってよ」
そのまま店の外に駆け出し、もう工場に戻ることはなかった。