「元受刑者」の間に芽生える仲間意識

だが、もうすぐこの家は、取り壊されるらしい。近藤さんは、2カ月後から、東京に住む息子夫婦の世話になるという。

「まさか息子のところに、平沼さんも連れて行くわけにはいきませんからね。なんとか次に住む家を探してたんですが、山本さんが、当てがあるとおっしゃるんで、きょうはわざわざご足労いただいて、本人と会ってもらうことにしたんです」

私は、近藤さんの言葉に頷き、それから、平沼さんに声をかけた。

「はじめまして、山本譲司と申します」

挨拶をしても、彼は目を合わせてこない。

「私、平沼さんと同じく、元受刑者なんです」

彼の顔がこちらを向いた。見る間に、表情が緩んでいく。

元受刑者に対して、こちらも「元受刑者」と名乗る。それは、魔法の言葉のようでもあった。

お互い「臭い飯」を喰ったという仲間意識が、一気に芽生える。

「へぇー、そうかい。けど、あんた、元受刑者には、あんまし見えねぇーな」
「まあ、平沼さんみたいに、年季が入っていないもんですからね」

そんなやり取りから、二人の会話が始まった。

少年院に入り「継父の顔を見なくてすむ」

平沼さんの生い立ちについては、近藤さんから、詳細に教えられていた。

そうした予備知識をもとに、平沼さんとの話を進めていく。近藤さんには、「平沼さんの人となりについて知ってほしいんです」と言われていた。

彼は、1951年生まれ。私より11歳年上だった。北関東の地で、二人兄弟の弟として誕生する。3歳の時に、父親が亡くなり、母子家庭となった。5歳の時に、新しい父親ができる。兄弟二人は、その継父から、日常的に暴力を受けていたという。それでも兄のほうは、真面目に育ったが、彼は、次第に学校にも行かなくなる。

不良グループのメンバーになったのは、中学生になってすぐだった。13歳の頃からは、万引きや窃盗、空き巣などを繰り返すようになり、計7回補導される。その7回目で、ついに彼は、初等少年院送りとなった。

「母親が連れてきた男の顔を見なくてよくなったんで、それだけでもオッケーだったな」

平沼さんは、指でOKの形をつくった。