1994年から語られ始めたこと
松下幸之助さんには次のようなエピソードがあります。1923(大正12)年、工場の大掃除を見て回った際、松下さんは便所が掃除されていないことに気づきます。松下さんは自ら率先して便所掃除に取り組みますが、一人を除いて工員は手伝おうとしません。松下さんはこれをみて、「こういうような精神の持ち方なり態度では、仕事の面でもいい仕事はできない」、「たとえ仕事には直接関係はなくても、人間としてのあり方というか礼儀とか作法を知らないようでは、この松下工場に勤務した意義もうすい」と考え、今後は「人間としていかにあるべきか」を教えていこうと決意したというエピソードです(『決断の経営』184-186p)。『決断の経営』は1979年の刊行でした。
松下政経塾の設立間もない1980年の講話には、「掃除を完全にするということは、一大事業です。百貨店に行っても、掃除のゆきとどいた百貨店と、掃除のゆきとどいていない百貨店とは違う。掃除がどことなしにおそまつなところは、やっぱりはやりませんね」という言及もあります(松下政経塾編『松下政経塾塾長講話録』145p)。ただ、同書ではこうした発言のみがあるだけで、その意図についての解説は何もありません。
松下さんは掃除をしっかり行うことが人間としてのあり方、礼儀作法の教育に有用であり、ひいてはそれが企業の成功につながると考えていたようなのですが、今引用した以上に詳細に説明されることはありませんでした。また、みてきたように1979年の『決断の経営』、1981年の『松下政経塾塾長講話録』において掃除に関するエピソードが既に紹介されていたわけですが、ここから掃除の効用に注目しようという人は長い間現われませんでした。もちろん、企業の生産管理における5S(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)は1980年代には既に普及していたのですが、それを人間形成と合わせて論じようとする著作はありませんでした。
1994年、掃除は人間形成に役立ちを、また掃除を徹底する組織は成功するということが語られ始めるようになります。刊行の順に追っていくと、まず浅野さんが鍵山さんのエピソードを紹介します。それは次のようなものです。
近年、雑事をおろそかにする人や企業が増えている。しかしそうした、手足を使うことをおろそかにしては頭も働かなくなる。鍵山さんは1961年のローヤル創業時以来、早朝に最寄駅から会社までの通勤路を掃き清めることを始めたが、手伝おうとする社員が現れるまでに10年、ほぼ全員に行きわたるまでに20年かかった。掃除という雑事を自ら行うことで、目の前の問題から逃げない態度を育み、細かいところまで気がつくようになり、またそれによって人とのかかわりが深くなり、喜んでもらえることも増えることになる。また、皆で一緒に取り組むことで社内の人間関係も良くなり、やる気も起こり、ミスが減り、商品の価値が高まるとともに人材も育つ。このような考えの偉大なる実践者として鍵山さんがいるのだ、と(『喜びの発見』49-53、104、165-168p)。
上甲さんは1981年に松下政経塾に入職して以降、松下さんの考えが塾生になかなか伝わらないことに頭を悩ませます。その一つの例が掃除です。人間としてのあり方、礼儀作法を体で覚える、実地で習得するという松下さんの考え方と、掃除の「意義と効用」「理論的根拠」を求める塾生のすれ違いが埋まらないというのです(『志のみ持参』75-78p)。
そのようなとき、上甲さんは鍵山さんに出会い、政経塾の掃除は「やらされてやっている掃除」であり、「これはだめですな」と率直にいわれてしまうことになります(『志のみ持参』101-102p)。上甲さんは鍵山さんが長年かけて掃除を社風とした経緯を知り、また周利槃特のエピソードを知って、次のような見解にたどりつくことになります。
「実は掃除というのは、ただ単に環境美化というだけではなくて、我が心の塵を払わん、我が心の垢を拭わんという、いわば自分自身を変えていく一つの大きなポイントがあるのではないか」(132p)
「塾生を育てる、塾生を変える前に、私の人生の中において、いちばん変わらなければならないのはおのれ自身だったのです」(133p)
「私の掃除の先生」(135p)と呼ぶ鍵山さんとの出会いを経て、上甲さんは次のような考えを打ち出します。これまで、特にバブルの時期、顕著に行われていたのは、「お金の力に頼って仕事をする」経営、いわば「金力経営」だった。しかしバブルが崩壊した今日、そのような経営は立ち行かなくなる。今後重要なのは、「働いている一人ひとりの人が自分の心の力で仕事をする」ことを基本に据えた経営、つまり「心力経営」ではないか。「心は無限」であり、「使えば使うほど豊かにな」る。そのような「心力経営」に向かうための一つの典型が、「一人ひとりの心の中に、自分がきれいに掃除をしておけばどんなにみんなが気持ちがいいだろうという心」を育む、掃除なのではないか、と(139-141p)。上甲さんは、鍵山さんの考え方を知って、「松下幸之助さんが願ったのはこういうことではないか」(142p)とまで考えるようになります。
さて、浅野さんにしても、上甲さんにしても、鍵山さんが「掃除哲学」(『喜びの発見』106p)の重要人物であることが分かると思います。では鍵山さん自身の見解を次に見ていくことにしましょう。